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南山あおい
南山あおい
novelistID. 58068
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かたちのないもの。

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学生の頃から使っていたグラスが、あっけなくガラスの破片になってしまった。

洗って、ゆすいで、ちょっと手を滑らせて、金属製のシンクにコロンと転がった瞬間、こっぱみじんに。

DURALEXのピカルディという、かなり頑丈な(それこそ何度床に落としたことか…)耐熱性の(プリンを作るのにオーブンに入れたり…)コップが、跡形もなく、ガラスの欠片になってしまった。ただ割れた、という感じではなく、本当に、全てが同じような大きさの欠片に分裂したという感じ。

幸い怪我もなく、シンクの中でのできごとだったので、後片付けもすっと終わったのだけれど…

頑丈だったゆえに、付き合いも長かった。大学入学が決まり、ひとり暮らしが決まるのと同時に買ったコップ。家の近くの雑貨屋さんで、心躍らせて。当時、ひとり暮らしが決まったら、絶対にこのグラスを買うんだと憧れていた、念願の品だったのだ。

その日から今まで、いろいろな人と、いろいろなものを飲んだグラス。ふたつ揃いで買ったグラス。 泣きながら友人と一緒に飲んだお酒、大好きだった彼とのクリスマス、社会人のつらさが身にしみた夜。どんな時もすぐに引っ張り出されていたグラス。そして、忘れられないあの人との懐かしい日々を、ぼんやりと映し出していたグラス。

そのふたつのうち、ひとつが割れてしまった。

ただそれだけのこと。ただそれだけのことなのに、このせつなさはなんなんだろう?グラスが割れてしまったこともショックだったけれど、残ったもうひとつのグラスを見ている方が胸が痛い。無くなってしまったかたわれを補うのに、新しく同じものを買ったとしても、それはなんだかちょっと違う。もう二度とお揃いには戻らない。

残ってしまった片割れ、いっそ捨ててしまおうか?と手を伸ばすも、すぐに決断できず、キッチンでグズグズする始末。透かして見ると、たくさんの細かな傷が浮かび上がる。いつ、どんな時に、どんな風についたのか、そんなことを考えては、もう会えないあの人との接点を探したりもしている。そして、いつまでも満たされることのないわたしの思いだけが、この片割れに注がれ続けるのだろう。

形あるものはいつかなくなる。でも、それは絶望ではない。
形なくいつまでも込み上げてくる思いこそ、わたしには絶望に思える。


作品名:かたちのないもの。 作家名:南山あおい