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吉葉ひろし
吉葉ひろし
novelistID. 32011
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廃屋

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1

白い糸が垂れ下がってくるような、静かな雨が降っている。信三は幸恵の腹の上からそれを見た。すでに事は終えた後で、幸恵の荒い息と信三の咳き込む声が狭い部屋に混ざり合っていた。信三はこの雨が蜘蛛の糸であって欲しかったなどと、ふと考えていた。この生き地獄から這い出してみたい気持ちがまだ信三に残っていた。どこを伝って来たのか、天井から滴が落ちていた。それは時計の振子の様に、正確に音を信三に伝えた。
 死ぬ前にと行うセックスのたびに、死の恐怖は増すばかりであるが、やがて、5千万円の借金のことを考えると、死を選ぶ道が残されているのみであると悟るのだった。
 山村の廃屋で死を躊躇しながら10日になった。庭先の柿の実を食べながら、空腹は抑えられた。その実を食べるのは、どこからか飛んでくるムクドリもいた.ギャギャとけたたましい鳴き声は、信三の耳に届く時羨ましい生命力を感じた。
 タワークレーンが回転しながら鉄筋の束をスラブに下す。信三はこのマンションを請け負った建設会社の社長であった。現場に顔を出せば、鉄筋工、とび職、大工達の威勢の良い声が聞こえた。32階建ての28階の時に火災が起きた。死者が2人出た関係もあり、労働基準監督署の調べも入った。保険金額で損害を補てんすることは出来ず、銀行からの融資も止まり、旅に出たのであった。
 幸いと言えるのは信三たちには子供がいなかったことであった。もし信三に子がいれば考えも変わっていたかもしれない。 
 廃屋で生きていると、豪邸と言われた家に住んでいた時よりも、家の在りがたさを感じた。また柿の実1つに旨さを噛みしめ、命を繋ぐ感謝の気持ちさえ湧いた。柿の実が無くなった時に死のう。それまでは、この山の紅葉や、鳥の声や、虫たちの鳴き声を楽しもう。歌舞伎を観るように、映画を観るように楽しもうと思った。
 信三は夜中に小便をしに外に出ると、イノシシがいることに気が付いた。罠を仕掛けてみようと思いついた。
「近いうちにイノシシの肉が食べられそうだ」
幸恵は
「臭いそうですが食べられるかしら」
と言った。その言葉には生きたい気持ちがある様に信三は感じた。
 天井から、電線を取り、イノシシの獣道らしい場所に仕掛けた。神は信三たちに生きる道を選ばせたのだろうか、翌日、罠にイノシシが掛っていた。
 死を覚悟しながら、殺生はしたくはないが、目の前のイノシシを殺すことで、信三は生きる決心がつくように感じた。
 深まりゆく秋の空、紅葉した景色。京都で観た紅葉よりも美しい。その美しさを見ながら、生きる道を選んだ信三は、錆びた包丁で、暴れるイノシシの喉を突いた。
 2

信三は男ばかりの3人兄弟であった。長男が信一、二男は信二、信一は国立大の教授、信二は開業医であるから、5千万円の借金も頼めば何とかなるのだが、父、信長は常日頃から『人は信用が大事である。また、たとえ兄弟でも頼るな、自分を信じ自分の考えで生きるのだ』と言い聞かされて来た。
 信三は幸せに暮らしている兄たちに負担をかけたくはなかった。共倒れにはしたくはない。頼み込み、良い返事が帰らなければ憎しみが残る。父が死に、81歳の母1人になった時、だれが引き取るかと、兄弟で話し合った、信三には子が無かったから、母の面倒は幸恵の賛成があれば引き受けてもよいと考えていた。ところが母にそのことを話すと、
「それでは、信一や、信二達の面子が立たないだろう。私はこの家に住むから、心配はいらないよ」
と、兄弟の仲を心配した。家庭が男の考えで動かせるものではないことを、母は知っていたのだろう。
 信三の父は町でうどん屋をしていた。手打ちうどんは評判で、繁盛していた。母と2人で切り盛りし、3人を大学に進学させた。楽しみは休日のヤマメ釣りであった。そして60歳の時に店を閉めて、山のそばに土地を買い、ヤマメの養殖と、ワサビの栽培を始めた。
 その母も87歳で他界した。あれから5年経っいた。ヤマメの養殖池は、湧水で水は枯れてはいないが、コンクリートは苔でその地肌は見えなかった。落ち葉や藻で、底も見えないが、水面の水は透明であるから、底に沈んだ新しい葉の形まではっきり見えた。熟れた柿の実がオブジェの様に沈んでいた。飢えていたなら、その柿さえもここには存在しなかっただろうと考えた。
 イノシシを解体することは初めてであったが、気持の悪さよりも、命を繋ぐことの気持ちが強かった。包丁はコンクリートで研ぎいくらかは切れ味が増した。腹を裂くと血の臭いはこんなにも臭いのかと知った。外科医である信二はよく耐えられるものだと思う。
 父がマス釣りによく連れて行ってくれた。マスが針を奥まで呑んでしまうと、針が外せないから、金具で針を引き出す時、出血するが、信二はそれを可哀想と言い見ることが出来なかった。
 足を結わえ松の木にイノシシをつるした。血が滴れる。残酷にも見えるが、知らないだけであることに、信三はそれらに従事している人のことに初めて感謝の様な気持ちを感じた。
 幸恵と信三の生命保険で何とか借金は返済するつもりであったが、銀行に相談すると、月50万円の10年ローンを組んでくれた。連帯保証人は信二が引き受けてくれた。信一と信二が、20万円づつ援助してくれると言った時、兄弟の有り難さを、蜘蛛の糸に感じた。
 廃屋の屋根の雨もりで気が付いたのであったが、地方にはペンキ塗や、戸やドアの修理など細かな仕事があった。そんなことから出直してみる気持ちになった。
 自分の考えで幸恵までも死の道ずれにしたことを悔いた。幸恵の表情は以前と変わらなく見えたが、その気持ちのなかに残ったものを考えると、幸恵の愛情に感謝するばかりであった。葉の落ちた柿の木から秋の空が見える。実に澄んだ空だ。






作品名:廃屋 作家名:吉葉ひろし