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考える

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「人間は考えるアッシーである。」
フランスの哲学者、パスカルが「パンセ(思索)」の中で残した有名な一節である。人間なんて所詮ちっぽけなアッシーに過ぎない。しかしその、最も大きな特徴は「考えること」である。考えることこそ人を人たらしめている行動であり、それを忘れるとただのアッシーとして、他人にいいようにこきつかわれてしまうよ。そんなどこか自嘲的な、印象深い言葉である。

・考えないアッシー
「ちょっとこーすけ、駅前まで送ってって~。」
(条件反射)「はいはい、じゃあいこうか~。」
「じゃあこーすけ、あたし今から合コン行って来るから。付き合いでことわれないの。
終わるまで適当時間潰しててね~」
(条件反射)「えと、わかった。んじゃネットカフェにでもいってるよ」
「こーすけ、終わったから迎えにきて~。」
(条件反射)「おけ。んじゃすぐいくわ~。」

これではダメである。ニッポン男児の魂はどこへ消えたのか。嘆かわしいの一言に尽きる。最近はこういう男性が増えてきたように感じる。女性のいいなり、いわれるがまま。全くもって情けない。

・少し考えるアッシー
「ちょっと太一、駅前まで送ってって~。」
「(なんで休日にわざわざ出向かんとあかんねん)はいはい、じゃあいこうか~。」
「じゃあ太一、あたし今から合コン行って来るから。付き合いでことわれないの。
終わるまで適当時間潰しててね~」
「(はぁ?なにいってんのこいつ。合コン?しかもまってろ?おいおい、彼氏の俺の立場は?どゆこと?)えと、わかった。んじゃネットカフェにでもいってるよ」
「太一、終わったから迎えにきて~。」
「(バカやろう!3時間も待たせて何様のつもりや!)おけ。んじゃすぐいくわ~。」

多少マシにはなったが、これもダメ。結局思いや言葉を伝えれていない。なにより、考えないアッシーと言動と行動が全く変わっていない。結局根性無しである。
やはり私くらいの「深く考えるアッシー」になると、こんな醜態はさらさない。例えば以下のような感じである。

・深く考えるアッシー
「ちょっとえぬむら、駅前まで送ってって~。」
「?電車あるよ?それでいってきたら?」
「(むかっ)!・・・、はいはい、わかりましたよ。電車でいってきますよ。あたし今日合コンだから。いいオトコと飲んでくるんだから」
「はいはい、いってら~~。」
「(むかむかっ!)駅前のカラオケボックスなの。ちょっとかっこいい人とくっついたりして~。話はずんじゃったりなんかして。手なんかにぎられちゃったりして~!」
「うん、楽しそうだね~。感想まってるよー」
「(むかむかむかっ!!)ねぇえぬむら聞いてるの?あたし合コン行ってくるんだよ?いいの?えぬむらは、それでいいの?」
「・・・・。涼子。」
「・・・っ。なによ。」
「・・・。お前さ、なんで俺が、ただ車動かすくらいのことを、やりたがらないと思う?・・・・。気づいてくれよ、おれの嫉妬に。」
「!!!」
「わかってはいるんだ。涼子はやさしいから、友達の誘いを断れなかったこと。合コンはつきあいで、新しい男とどうこうなんて考えていないこと。でもな、それでも、俺の涼子が他の男と飲みに行く。この事実が、俺を激しく動揺させるんだ。だからすこし、むくれて見せたんだよ・・・・!!」
「!!!!えぬむら・・・。」
「駅前だっけ?乗ってけよ。これ以上、みっともないとこ見せたくないから。でも、すぐに帰ってきてくれよ、俺の愛しい、りょーこ。」
「・・・えぬむら・・!!ありがとう!ほんとに、ほんとにごめんね?すぐに帰ってくるから♪」

ニッポン男児に生まれたならば、このくらいの技量がないと。これならたとえ事実上アッシーであっても、主導権はこちらにある。そして涼子は確実に、私にベタぼれであろう。きっとすぐに帰ってきて、私にしだれかかってくるはずである。深く考えるアッシーはそこまで見通した結果、アッシーであることの有利性を見出し、アッシーとしての行動に移るのだ。これこそパスカルのいう「考えるアッシー」の見本であると思う。

「ちょっとえぬむら、なにやってるの!はやく支度して!今日はショッピングにつきあってくれるんでしょう?」
おっとお呼びがかかってしまった。いいところで。しかし私はここで筆をおかねばならない。なにしろ涼子が、呼んでいるのだから。
「(条件反射)はいはい、すぐいく~。ちょっとまってて~。」
作品名:考える 作家名:えぬむら