控室にて
ぼくが面食らいながら「そんなことないだろ。仕事ができたり、金持ちだったり、ルックスがよくなきゃ男はもてないよ」と反論すると、「そんなものはそこそこありゃいいの。女が男に一番求めていることはね、自分を欲しがってくれることなの。露骨にいっちゃうとさ、自分に興奮してくれること。男の興奮が女にうつってきて、いっしょに興奮する。そしてエッチする。これが女が心の底でもとめてることなの」
「い、いきなり何いってんだよ。そんな格好で」
「いいから黙って聞きなさい。だからどんなに世間的にいい男でも、自分に興奮してくれないとわかった男を、女が好きになることはないの」
「桜井さんは、おねえちゃんに興奮したんだ」桜井さんは、きょうから自分の義兄になる人だ。
「うん。こっちが引き気味になるくらい」
「でもうれしかったんだ」
「まあね」
「もの好きな人がいてよかったね」
「うるさい」姉は白く長い手袋をはめた手でぼくの頭をこづいた。
「でも、おねえちゃん、今日はなんでそんな話をするの」
「あんたが女ってものをあまりに判ってないから、最後にこれだけはいっておきたくて」
「最後っておおげさだな。それに、なんで俺が判ってないっておねえちゃんにわかるんだよ」
「だからいったでしょ。男は男というだけでモテるってことを判った男からモテていくって。あたしから見ても、あんたはそこそこの男だよ。やさしいし、顔だって頭だって悪くないし、仕事だってちゃんとする。でもぜんぜんモテないのは、それがわかってない何よりの証明だってこと」
「ぜんぜんモテなくて悪かったな。でも、ほんとにモテってそんな簡単なことなのかなあ。おねえちゃんの思いこみじゃないの」
「あーあ、こりゃだめだ。あんた一生見当ちがいな男磨きやってなさい」
そのときノックの音が部屋に響いた。ドアが開き、蝶ネクタイをきちんと結んだ桜井さんが入ってきた。こころなしか顔がこわばっているが、まっ黒な髪の毛をオールバックになでつけてた、なかなかの男っぷりだ。姉もすっきりとしたきれいな顔立ちだし、ちょっとした美男美女のカップルだなと思った。
「きょうのおねえちゃん、とてもきれいだよ。ほんと」こんな言葉が口をついて出た。姉は待ちかまえていたように、にっこり笑って「ありがと」と言った。ぼくが姉にこんなことをいうのはおそらくこれが最初で、たぶん最後だろう。
ぼくは桜井さんと軽い挨拶の言葉を交わしたあと、二人を残して部屋を出た。式場に向かう広い通路をひとり歩きながら、一歩ずつ姉が遠ざかっていくのを感じていた。
作品名:控室にて 作家名:DeerHunter