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幸せの裏側

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『幸せの裏側』
 
完全に幸せな人はこの世にはいない。みな幸せという仮面を被っているに過ぎない。幸せの裏側にどんな悲しみがあるか―――

ゆかりのことを誰もが幸せだと思っている。裕福な家庭の三姉妹の長女として生まれ、美人で、一流会社に入り、エリート社員の夫と結婚した。大きなマイホームを建て、そして美しい娘たちを授かった。誰もが「ゆかりほど幸せになった女はいない」と言うが、、彼女は優雅に笑って聞き流す。

たか子はゆかりの友人の中の一人である。美人でもなく、また貧しい家に生まれた。苦労した末に大学を出ものの、望んだ仕事に就けず、ずっと非正規の仕事をしている。どんな仕事についても、いつも誰かと喧嘩して、仕事は長続きしない。体裁のというものを一切気にせずに、いつも自由に生きている。誰もがたか子を不器用で不幸だと思っている。だが、ゆかりはそうは思っていなかった。むしろ、自由に生きられるだけ幸せだと思うことさえある。

ゆかりとたか子は月に一、二度会う。ときに酒を飲み交わし、ときにコーヒーをのみながらあれこれと話をする。
春の終わり、二人は喫茶店で会った。
「幸せって何かしら?」とゆかりが独り言のように言うと、
「そんなの分かるわけないよ」とたか子はスパッと答える。
「私は三姉妹の長女、幸か、不幸か、私たち姉妹は三人とも同じようなレベルの相手と結婚し、子ども達も同じようなレベルな学校を出て、同じような会社に勤めている。おかげで姉妹仲良くやっている。従妹も三人いるけど、やはり同じ。そして四十を過ぎた今も仲良くしている。つくづく結婚後のレベルが同じであることが人間関係の秘訣だと実感している」
「でも私は違うよ」とたか子は笑った。
「妹たちも母も、私が一番恵まれていると思っている。実際にそうだった。夫は高給取り、娘たちは優秀で私立の一流高校に入った。私は社会的地位のある仕事をしている。誰からも羨ましいと言われた。でも、数年前に長女が精神的におかしくなり、暴言を吐き、そして自殺未遂をした。メンタルクリニックにも通ってもう四年。そのせいで家族はばらばらになった。そんなことは周りの誰にも言っていないけど」
「なぜ、誰にも言っていないのに、私に言うの?」
「分からない」
「きっと、あなたから見ると、幸せそうに見えないからよ」とたか子は笑った。
たか子は本音をずばずば言う。そのときは憎たらしいと思うこともあるけれど、逆に後で何か清々しいと感じる。
「そうかもね」とゆかりも笑った。
「たか子といると、肩ひじを張らずに済む。長女のせいで私は十キロ以上も痩せた。でも、妹たちの前では“ダイエットに成功した”と笑って羨望を集めているけど。今も心労の絶えない地獄の日々。ときどき”子供なんか生まなければ思ったりする。後で自己嫌悪に陥ったりする。でも、最近、きっと誰もが言えない悩みを抱えて生きていると思うようになった。いつも自由気ままに生きているように見えるたか子も。今日はそれを聞きたかった。おかしい?」
「おかしいわよ。そんなの小学生だって知っている。みんな演じて生きているってことぐらいは。誰もが、自分にふさわしい仮面をつけて自分を演じるの。ゆかりは、私のこと、本音だけで生きていると思っているかもしれないけど、自分なりに自分を作っているのよ。まあ、他の人の半分くらいかもしれないけど」とたか子は笑った。
「最近、変な夢を見た。自分に子供がいる夢。おかしいでしょ? 目覚めたら、子供がいたのは夢に過ぎないと気づいて涙が流れてきた。本当は欲しかったんだとも思った。恋人だって何人もできたのに、ほんのちょっとのすれ違いで別れてしまった。ほんのちょっと合わせれば、ひょっとしたら、彼らの誰かと結ばれ、その子供を宿したかもしれないのにと思った。もうやり直せない」とたか子は珍しく涙ぐんだ。
「ごめんなさい、変なことを言わせて」とゆかりは謝った。
人は好んで一方しか見せない。それも良い方を。だが、表があれば、裏がある。幸せにも裏側がある。

作品名:幸せの裏側 作家名:楡井英夫