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理想の女の子

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目を覚ましたとき最初に感じたのは、ひんやりとした土の感触だった。
 
 湿気を吸った土は柔らかく、私の全身を包み込んでいる。それはまるで母の抱擁のようで。
 などと一瞬ノンキなことを考えてしまったけれど、すぐに我に返る。全身を土が包み込んでいるということは、顔も土に覆われているということだ。一言で言えば、私は土中に埋められているのだった。困ったことに、うまく息ができない。しまった死ぬ。そう思った時には、すでに意識が暗転して―――
 
 目を覚ましたとき最初に感じたのは、ひんやりとした土の感触だった。
 
 湿気を吸った土は柔らかく、私の全身を包み込んでいる。それはまるで母の抱擁の―――いやちょっと待った。それはさっきもやった。そうだ、私は土の中に埋められていたのだった。何でこんなことになったんだっけ。思い出す間もなく、苦しくなる呼吸は私を再び死の甘い誘惑へと導こうとする。などと詩的な表現をしている場合ではない。早くここから抜け出さなくては。必死に腕を動かそうとしたけれど、全身を覆う湿気を吸った土は重く、私のかよわい細腕ではぐっと力を入れても身じろぎもできない。そういえば昔、家族で行った砂風呂ってこんな感じだった。もっとも砂風呂は顔まで覆って窒息させたりしないけれど。あ、だめだ死ぬ。
 
 目を覚ましたとき最初に感じたのは、ひんやりとした土の―――それはもういい!
 
 覚醒するなり、私は必死になって手足をばたばたと動かした。幸い足を覆った土はそれほど深くなかったらしく、わずかながらに土中をかきわける感触が伝わってくる。よし、何とかなりそうだ。どれくらい深く埋められたのか分からないけれど、腕力ならば私と大差ない非力な彼のことだ。きっと穴の深さは数メートルもないに違いない。あと数回死ねばここから抜け出すことができるだろう。彼―――そうだ彼だ。私を埋めたのは、やっぱり彼なのかしら? そう思ったところで―――
 
 目を覚まして、さっき何を考えていたのかを思いだそうとした。
 ああ、そうだ彼のことだ。
 
 ばたばたと色気なく土中で全身を動かしながら、彼のことを想う。私の恋人のことを。
 彼とは、大学のゼミで出会った。吹けば飛ぶような痩せた長身、優しげな細面、節くれだった細く長い指、そのすべてが私の乙女心の中心を貫いた。けれどずっと女子高育ちで男性に免疫のなかった私はどうすればいいのか分からなくて、パンをくわえて出会い頭にぶつかってみたり、女子高生向けのおまじないを試してみたりと、自分で今思い返しても赤面ものの意味不明のアタックを繰り返した。でも、当然のことながら上手く行かなくて―――
 
 目を覚ます。えーと、足はだいぶ自由に動くようになった。がんばって土を蹴り上げながら回想を続ける。
 
 そうそう。ゼミの指導教官である教授と飲みに行ったとき、恋の迷宮にすっかり迷い込んでいた私は、よりによって教授に絡み酒をしてしまったのだった。ところが、結果的に教授は信じられない突破口を用意してくれた。悪魔を召還してくれたのだ。伊達に民俗学で博士号を取得しているだけのことはある。教授が召還したメフィストなんとかという長い名前の悪魔は、私の願いを何でも1つ叶えてやろうと言った。そこで私は―――
 
 目を覚まして、ちょっとだけウンザリする。だんだん死んで生き返るのも飽きてきた。
 
 だんだん自由に動くようになってきた腕を一生懸命持ち上げて土を掻き分けながら、悪魔のことを思い出す。いくら私が世間知らずとはいえ、悪魔の言葉をホイホイ信じるほど夢見る少女だったわけではない。悪魔の外見がどことなく柄本明に似ていたことも不信を煽った。けれど、他に頼るものを持たなかった私は、無我夢中でこう願った。私を、彼の理想の女の子にしてくれって―――
 
 ―――だから、こうやって何度死んでも、私は生き返り続けることができているわけだ。
 
 願いはあっさり叶った。少なくとも悪魔はそう言った。なぜか容姿に一切の変化がなかったので半信半疑だったのだけれど、今告白すれば間違いなく彼はお前を受け入れるだろうという悪魔の言葉に背中を押されて、私は彼に想いのたけをぶちまけた。そうしたら何と、彼のほうでも私を好いていてくれたなんて言うではないか。私は天にも昇る気持ちで、そしてその夜、実際に昇天を果たした。別に暗喩的な意味ではなくて、彼が私の首をきつく締めたからだ。
 
 優男な外見に似合わず、彼は女性の首を絞めながらでないと、その、男女の行為に興奮できない性質の持ち主だった。

 びっくりしたけれど、すぐに私はそれを受け入れた。受け入れられたのは、悪魔への願いが、私の性格をも変化させていたからなのかも知れない。そして、窒息死した後にあっさり生き返った私に、今度は彼が驚いた。私も死んだのは初めてだったから混乱したけれど、すべてを彼に打ち明けて、やがて事情を把握するに至って彼は目を輝かせながら、こう言ってくれた。
 
 キミこそ、僕の理想の女の子だよ! と―――
 
 平泳ぎのように必死で土をかきわけるうちに、やがて指先が空を切った。一気に身を起こして、土中から顔を出す。森の中の湿った空気が肺いっぱいに満ち、ようやく一息つくことができた。人間、死ぬ気になれば何でもできるものね。などと一人ごちる。
 
 彼と付き合い初めてもう一年近くが経つ。色々な行為を試してきたけれど、さすがに土に埋められたのは初めてだった。私も最近、卒論の執筆で寝不足が続いていたから、行為の最中に締め殺されて、生き返るもうっかりそのまま寝てしまったのかも知れない。なかなか目を覚まさない私に、彼がびっくりして怯えたのは想像に難くない。アレの最中は大胆なくせに、変なところで小心者なんだから。

 服についた泥を払いながら、私は立ち上がる。よく見れば、大学の裏手にある森の中だった。もう、ダメじゃないこんなところに埋めちゃ。誰かに見つかったらどうするの。彼の子供っぽさに呆れつつも、私の死体とスコップを抱えて森の中を一人歩く彼の様子を想像して、背筋にゾクゾクとした快感が走るのを感じた。
 
 片方しか残っていないヒールを、先ほどまでの寝床に放り込んで私は大学の校舎へと一歩を踏み出す。

 待っていてね。
 
 今、貴方の理想の女の子が帰るから。
作品名:理想の女の子 作家名:TAG