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出雲古謡 ~少年王と小人神~  第二章 「因幡の白兎」

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杵築の郷を出発してから、数日。
 志貴彦達一行は、海岸ぞいをつたいつつ、東へ東へと旅を進めていた。
 出雲国の隣国である伯耆国を抜け、既に彼らは因幡国へ入っている。この後南へと下り、八上姫のいる八頭郡へと向かうのだ。
「……おっもいんだよな、まったく!」
 呟くと、志貴彦は肩に担いだ袋の端を握り直した。
「気の毒にのう。出来るのならば、わしが代わってやるのじゃが」
 志貴彦の頭の上に座り込んだ巨大蛾--もとい、少彦名が哀れむように呟いた。
「--絶対出来ないと分かってて言ってるだろう」
「実際どうにもならぬのは事実じゃ。いたしかたなかろう」
 少彦名はすまして言った。
「まったく、役にも立たない蛾を拾っちゃったよ」
 毒づいて、志貴彦は溜め息をついた。意気の消沈と共に、自然歩みも遅くなる。
「ほらどうした、がんばらぬか! このままでは、ますます一行から遅れてしまうぞい」
 言いながら、少彦名は志貴彦の髪をひっぱる。顔をしかめつつ、志貴彦は彼方を見やった。
「……今更どんなに急いだって、もう追いつきやしないよ。兄さん達は、見えない所まで行っちゃったじゃないか」
 志貴彦の言う通り、どこまでも続く砂浜には、人っ子一人いなかった。兄達は、自分たちの旅荷物を全て志貴彦におしつけ、彼らだけでさっさと先へ進んでしまったのである。

「こんなの持ってたら、どんな大男だって遅くなるさ」
 志貴彦は憮然として言った。一つの袋にまとめて入れた兄八人分の荷物は、軽く子供一人分位の重量がある。それを右肩に担いでついてきていたわけだが、華奢な身体の志貴彦には、どうにもつらい苦役だった。
「……まあ、急げぬにしてもじゃ。ちと、気を奮い立たせねばならぬぞ。あれを見い」
 少彦名は、小さな手で前方を指さした。うつむいていた志貴彦が、つられて顔を上げる。
「うっ……『気多の前』……」
 志貴彦はうんざりしたように呟いた。
 彼らの前方には、なだらかだった海岸線を割るようにして、苔に覆われた岩場が突き出している。「気多の前(けたのさき)」と呼ばれる海岸の岬だ。この岬を越えなければ、因幡国を南へと下る道に出ることは出来ない。いわば、因幡国内部への入り口にあたる岬であった。
「あれを上らねば、先へ進むことはできぬのじゃろう?」
「あー、そうなんだよね……そうなんだよっ!!」
 半ば自分に言い聞かせるように叫ぶと、頭を振り、志貴彦は左手で頬をパンパンと叩いた。
「よし、行くしかないんだから、行こう!」
 背筋を正し、志貴彦は急に勢い良く歩を進める。
「な、なんじゃ。突然元気になりおって」
 揺れる頭の上、均衡を崩しながら少彦名は言った。
「諦めついたら、切り替えは早いんだ。僕、ぐちって長続きしない質なんだよね」
「単純でいいのう……」
 実際、志貴彦は駆けるようにして岬の麓へ辿り着いた。そのまま、全身を使って岩場をよじ上る。
「き、気をつけての」
 少彦名が不安そうに言った。頭から滑り落ちぬよう、両手でしっかりと志貴彦の髪の毛を掴んでいる。
「まあ、運動神経はいいほうだから、多分大丈夫」
 気楽に呟きながら、志貴彦は案外器用に岬を上っていった。浜からの海風が時折強く吹きつけたり、片手で持った荷物が邪魔になったりはしたが、それでもなんとか無事に頂上付近まで上り詰めた。
 その時。

「……あれ?」
 岩から伸びた木の枝を掴んだまま、志貴彦はふと耳をそばだたせた。
「なんか、変な声しない?」
「声?」
 志貴彦に言われて、少彦名はきょときょとと頭を巡らした。その途端、遙か下方の海面が目に入り、思わず目眩を覚える。実は彼らは、かなり不安定な格好で、岩場の壁面に張り付いていたのだった。
「いいい、いや、わしには分からぬ。それより、早く上に出ようぞ!」
「うーん、確かに聞こえたんだけど……ま、いいや。--よっと!」
 掛け声と共に、志貴彦は岬の頂上に這い上がった。一端荷物を下におき、汚れた衣服をパンパンと手で払う。
「やあ、苦労したけど、いい眺めだなあ!」
 志貴彦は笑顔で周囲を見回した。
 眼下には、どこまでも続く大海が広がっている。もし目がもっとよければ、遠く彼方にある韓国(からくに)さえ見渡せそうな海原だ。
「天気もよくて、きもちいーなー!」
 志貴彦は機嫌よくのびをする。
 --その時だった。
「……おいおいおい……しくしくしく……」
 志貴彦の背後から、奇妙な声が聞こえてきた。
「……なんか……やっぱり声が……」
 途端に怪訝な表情となって、志貴彦は呟いた。
「うむ。今度は、わしにも聞こえた」
 少彦名は重々しく頷く。意見の一致をみた二人は、謎の声の正体を探ることにした。
 岬の頂上は大体が岩場で、先端と逆の方には松林が生えている。その陰に目を凝らしたとき、少彦名が驚きの声をあげた。
「あ、あれは何じゃっ!」
「あれは……」
 志貴彦は目を丸くする。
 何か得体の知れぬものが、松の根元でうち伏せながら身を震わせているのだ。
「……おいおいおい……しくしくしく……」
 声は、確実にその生き物から発せられていた。志貴彦は松に近づき、「それ」を凝視する。
「ねえ……君、もしかして泣いてるの?」
 しばらく見つめた後、志貴彦は恐る恐る声をかけた。
 側で聞いてみて分かったのだが、その生物が発していた音は、極めて「へんてこで情けない泣き声」だったのである。

「……」
 志貴彦に問いかけられて、『生物』は無言で顔を上げた。
 『生物』の丸い大きな目は、真赤に腫れ上がっていた。頬には、大粒の涙が流れている。
「君は……もしかして、『兎』?」
 訝りながら、志貴彦は訪ねた。赤い瞳で志貴彦をじっと見上げた後、『それ』は小声で答えた。
「……はい。確かに、私は兎です」
「これが兎じゃと?」
 頭の上で、少彦名が怪訝そうに言った。
 彼らがすぐに分からなかったのも、無理はない。
 兎は、本来ふさふさとしているはずの毛を、全てむしり取られて丸裸になっていた。おまけに、その露になった皮膚は、全身いたるところひび割れて、血が滲んでいる。
 本人に名乗られなければ、とてもではないが、「兎」であるなどと判別つかないほどの、哀れな姿であった。
「何で泣いてるの?」
「あまりにも、痛いので」
「……そうだろうねえ」
 数え切れぬほどの兎の傷を眺めながら、志貴彦は感心したように言った。
「でも、そもそも、なんでそんなことになったのさ」
 志貴彦は、当たり前の問いを発した。その途端、涙に濡れていた兎の赤瞳が鋭く光る。
「……まあ、聞いてくださいな、お若い方」
 兎はことさらに哀れっぽい声を出すと、突如として蕩々と語り出した。

「わたくしは、もともと隠岐島に住んでおりました。こちらの国に渡りたいと思っておりましたが、その術がございませんでした。そこである時、海にいた鰐を騙して言いました。『わたくしとあなたの一族と、どちらが数が多いか比べてみましょう。あなたの同族全て
を連れて、この島から「気多の前」まで、皆一列に並んで伏していらっしゃい。そうしたら、わたくしはその上を踏んで走りながら数えて渡りましょう。そうすれば、どちらが多いか分かりますから』……と」