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『蝶』

重い病気を患った母親の治療代を稼ぐために園子は風俗の世界に入ることを決意した。高校の先輩で園子より二つ年上のエミから風俗店を教えてもらった。そのエミも同じ風俗店で働いていたが、彼女が足を洗うときに、常連客の一人粟田を紹介してもらった。もう三年の前のことである。当時、園子はまだ十八歳だった。
「先生はしつこいところがあるけど、いい人よ。頭もいいし、金払いもいいし、いい客になる人よ。まあ、鴨がねぎを背負っているような人だから逃がしちゃだめよ」とエミは言った。

園子に性愛の手ほどきをしたのは、老教授栗田である。栗田は白髪でインテリ、骸骨のように痩せている。一週間に一度は園子に会いにやって来る。
金も地位も名誉もあるのに、この老教授はしょっちゅう不満をこぼしている。まず三十分ほど、一方的に喋り捲る。家族の悪口、嫁の悪口、大学生のレベル悪さ。興に乗じると、自分の専門分野の話をする。彼の専門は世界史、特に現代史を得意とする。園子は他の誰よりもよい受講生だった。相手の目を見てじっくりと聞く。ポイントと思われるところでうなずく。
講義の後で園子は教授の体を丹念に洗う。その後で、逆に園子が洗ってもらう。背中から腰へ、そして乳房を。まるで子供のようにおどおどした手つきで。
ベッドでは、園子は何もしない。部屋を暗くする。裸体をベッドにそっと横たえる。栗田はそっと覆い被さり、乳房を吸う。
栗田に出会うまで、獣のように襲い掛かる若い愛しか知らなかった。たいていの場合、自分が満足する前に男が果てた。だが、栗田は決して拙速に交わらない。体の隅々まで愛するのが常だった。栗田は何よりも乳房を愛した。老いたるドラキュラのように乳房を吸った。服を着ているときの園子は痩せてすらっとした体型のように見えるが、思ったよりも乳房が大きくてお椀のような形をしている。教授が一番好きなところである。その後、うなじから背中を執拗に愛する。初めはくすぐったくて笑いそうになったが、だんだんとゾクゾクするほど刺激的な快感に変わった。執拗な愛撫に、園子は昇っていくような快感を覚える。

『愛』というのが園子の源氏名である。裸を見せて、交わっても、本当の名前は誰にも明かさない。それが仮面の自分と本当の自分の境と信じていたから。娼婦のときは本当の自分ではないと言い聞かせている。それは栗田との間でも同じだった。だが栗田は”愛”とは呼ばない。本当の名も聞かない。教授はいつも“君”と呼ぶ。

それは秋の終わりの頃である。
行為が終わった後、粟田はつぶやくように「初め出会ったとき、君は処女のようで、ちょうど、さなぎと同じだった」
「今は?」と園子は聞いた。
「今はもう十分男を喜ばせることができる蝶だ」
「私を蝶に変えたのは先生ね」
粟田は笑った。
「私が変えたんじゃない。君自身で変わったのだ。それがメスという生き物だ。だが、気をつけないといけない、ここは君のような良い子がずっといるところじゃない。ここは泥の世界だ。綺麗な花も咲いているが、みんな、あだ花だ。ずっと居ると、この泥の世界から抜け出せなくなる」
園子はうなずいた。
粟田は微笑んだ。
「俺もこの泥の世界からそろそろ引退のときを迎えている。十分歳をとってしまった」
園子は粟田を見た。確かに三年間でかなり老けてしまった。それも悲しいくらいに。
「もう、店に来ないの?」
「たぶん」
「先生が来ないなら、私もこの店を辞める。本当は、ずっと前から辞めようと思っていた」
「どうする?」
「お金がある程度貯まったから、専門学校に行こうと思う」
「それがいい」と藁田は哄笑した。

数年後のことである。園子は専門学校を卒業し、そしてパン屋に勤め、そこで出会った男と結婚した。さらに数年後、二人でパン屋を開いた。

夏になろうとする頃である。
店に粟田がやってきた。園子はすぐに粟田を気づいたが、粟田は気づかなかった。髪を短く化粧もさほどしていないせいか、風俗のときと比べて、全くの別人に見える。たが、それ以上にパン屋で働くなどというのは、誰も想像もできないことである。
懐かしかったあまり小さな声で「先生」と呼びかけてしまった。たが無反応だった。だが、そのとき、一匹の蝶が店の中に舞い込んできた。園子は思わず大きな声で「蝶だ」と叫んでしまった。すると、粟田は何かに気づいたように彼女の顔を見た。
作品名: 作家名:楡井英夫