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深い穴に射した一条の光

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『深い穴に射した一条の光』

夏が終わる頃の話である。
二人の女が偶然、駅前で出会った。二人とも、驚いた表情をしたかと思うと、歓声をあげ、「ひさしぶりね!」と言って抱き合った。
この二人の女性のうち一人が、ユキエである。ユキエは病弱な母親と二人で県営のアパートでひっそりと暮らしていた。父親が会社の金を使い込み、それが発覚すると同時に失踪した。今はどこにいるか分からない。良いであった人だが、気の小さい人間だった。父親が使い込んだ金を母親と二人でせっせと返している。職場と家を日々往復するだけの単調な日々である。化粧も、ファッションも旅行もできない。爪を灯すようなギリギリの生活である。それもこれも父親が作った借金のせいだが、あと二年で返済が終える。そのときはもうは三十二になっている。結婚への夢は捨てているわけではないが、だからといって、簡単にできるとは思っていない。誰かが言った。三十過ぎの女は賞味期限切れと同じだと。単調で借金を返すだけの日々は深くて暗い穴に落ちたのと同じだと思っている。その深い穴から抜け出せせるなら、どんな結婚もかまわないと思っている。
そんなユキエの単調の日々を変えたのは、もう一人の女ミナミである。高校卒業して以来の十二年振りの再会である。
「今日も暑いはね」と切り出したのはミナミだった。
「どこかで、コーヒーでも飲まない?」
ユキエは「いいよ」と答えた。

二人は近くの喫茶店に入った。
ミナミが自分の身の上を語り始めた三年前に結婚し、その翌年には子供ができた。ところが難産で、帝王切開する段になって、看護婦は慌てたのか、本来なら点滴の中に入れる薬を直接注射しまった。呼吸困難となり、当然のことながら胎児も酸素不足に陥ってしまった。無事に生まれたものの、脳に重い障害が残った。子供が生まれるということは、本来なら嬉しいことなのに、その日を境にして辛い日々となった。
 ユキエは慰めの言葉が見つからず黙って聞くだけだった。
「変な話をした」とミナミは聞いた。
ユキエは首を振って、「そんなことはない」と微笑んだ。
「また会ってよ」とミナミが頼んだ。
 断る理由はなかったので、ユキエはうなずいた。
「聞いて、胸の中に仕舞った話を聞いてほしい」と少し涙声で言った。
「分かった」

それから、何度か会っているうちにミナミは、今まで誰にも言ったことのないことをユキエに語るようになった。
「どうして、こんな苦しまなきゃいけないのか分からない。子供は二歳になってもまだ寝返りさえうつことができないもの」
「どうしても、他の人の子供と比較してしまうの。うちの子はできないのか。そんなことを思っているとつい苛立ってしまうの。自分はこの子のためにずっと頑張らなくてはいけない。自分が死んだら、この子がどうなるのだろうと思うと、眠れないときがあるの」
 ユキエは何もしてあげられないけど、話を聞いてあげることはできる。そうすることで、幾分かミナミの苦しい心が晴れるならいいなと思って聞いている。たまに、機能訓練のために子供を病院に預けているとき、ミナミをドライブに誘ったりする。

ユキエはいけないことだと思いながら、密かに自分とミナミを比べていた。そして自分はまだ幸せだと思った。ミナミは障害を抱えた子をずっと背負って生きないといけないけど、自分は後二年すれば借金の返済は終える。そうすれば、別の人生を歩むことができるのだからと。

「病院を医療ミスで訴えやる。そうしないと私の気が晴れない。間違って注射をした看護婦から一度も謝罪を受けていないし、会ってもいないって……どう思う?」とミナミが聞いた。
「大変だよ。裁判となれば時間も費用もかかる。弁護士を立てて示談するのが一番いいかも」とユキエは言った。
「そうだよね。裁判になれば、お金と時間がかかる。でも気持ちが晴れないの」
「毎月一回、遠い大阪に子供を連れていって機能訓練をやっているの。子供が嫌がっているのが分かるから。とても辛い」と呟いた。
「ずっと、あの子の面倒を見なくてはいけない。死ぬまでよ」
ユキエは何も言えなかった。ただ自分が彼女の立場だったらどうなるかを考えた。それに耐えられるかどうか。その子が大きくなって、自分が他の人と違うということに気づいたら、何て言えばいいのか。

ユキエは父親の借金を背負ったことで深い穴に落ちたと思った。貧しさに悲しみ苦しんできた。だが、自分よりももっと深い穴にミナミは落ちている。比較にならないほどの苦しみを抱えて生きている。歩くこともできない子供を、死ぬまで背負って生きなければならない。それと比べれば、自分は遙かに幸せであることに気づいた。深い穴に落ちたユキエに一条の光が射したのである。