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熾(おき)
熾(おき)
novelistID. 55931
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月のあなた 下(3/4)

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「よく聞け――お前たちの言っている神は、本当は私のような精霊に過ぎん。我々は共に神の手になるものだ。ただ、肉と霊との割合が違うだけで――我々はおなじものなのだ。もし、同じものを信仰するなら、神は、私もお前も救ってくださる」

「いったい…なんですか?」

 蜜柑は立ち上がった。狼男も立ち上がる。だが、決して脅さぬよう、腰を少し屈めて。

「お前に神を信じてほしいのだ。お前の魂の救済のために」

 そして、私の魂の救済のために。

「そんなこと、いきなり言われても」
「話を聞け」

 時間は限られている。だが、この少女に何とか伝えたいのだ。

「――乙女よ。お前も人間であるからには、邪な心をもっているだろう? その喜びに、身を委ねて仕舞いたくなるときがあるだろう?」

 狼の訴えるような調子に、蜜柑は戸惑った。

「それは」
「私は長い間生きて、人間がどれだけ醜く成るかを知っているつもりだ。だが乙女よ。お前が邪な心に駆られようとする時、何か大きなものがお前を見ていないか? 
 その行動がお前を利すると分かっていても。
 あるいはお前が善行をなそうとする時、何かがお前をはげましていないか? その行動がお前を損なうとしても。
 お前が臆病になり身を隠そうとする時にも、ほんのちいさな声で、外に出よう、と語りかけるものはいないか?」

「それは…」

「それが神なのだ。主はそのようにしてやり直しをうながしているのだ。お前が考え直せば、主も考え直してくださる。主は誠によくお許しになり、お考え直しなさるお方。すべての人を、悔い改めを、お前を見ていて下さるのだ。だから、やりなおしはできる、なんどでも――」
 
 そのようにして、己の奥深くに降りていって光を見つけ、その言葉に耳を傾ける。そして今度は、その見つけ方と耳とを注意深く周りの世界に向ける。
 そのようにして、お前たち霊能者は、自らの力をはぐくんできたのだ。
 お前には素質がある。こどもよ。
 お前にはまだ〈合理性〉と名付けられた果実の毒は回り切っていない。
 利得のために他者を思いやるこころを抑制するという行き方を取れば、この毒は楽園の住人を荒野へ追放してしまうのだ。
 人間のいなくなった楽園は小さくなり、やがて世界が争いに変わる。それは悪魔の地図(プラン)だ。だがお前は楽園(アドン)に住め。
 どんなに風が吹くとも。お前が住む限り、そのなつめやしの葉は落ちぬ!

 考え込むような格好の少女に、彼は切実に語りかけた。

「娘よ。神を信じてくれないか」

 少女はもう一度首を横に振った。

「いやです。そんな正しい、優しい神様だったら、どうして世界にはひどいことがたくさんあるんですか」
「それは――」

 我々にものをよく分からせるためである、と言いかけ、口をつぐんだ。それはまさに、自分があの土砂に埋もれた村を見た瞬間に感じたことだった。

「分からない。主のなさることを被造物が忖度するのは不遜である。だが、だがさっき分かったろう? 我々のこころには神の指先の痕が残っているのだ。娘よ。ただ一言、いってくれないか。信じると」

 そうすれば私は、お前をここに残していく――。

 だが、三度、少女は首を横に振った。

「いやです。神様なんかいない。神様なんかいない! あなただってわたしにひどいことをしたくせに、なんでそんなことを言うんですか!」

「――そうか」

 狼男はうつむき、言葉を切った。

「ではお前はやはり、苗だ」

 突然言葉が温度をなくしたようであった。

「え――」

 知らぬ間に、蜜柑の足下に大量の砂が集まっていた。
 それらは体に絡まりつき、次々と結晶化していく。円盤状の平面を立体的に重ねていき、無数の大小の、薔薇のような形を成していく。結晶はらせんを描いて、蜜柑の足と手を動けなくした。それと同時に、またも彼女の気が遠くなっていく。

「抵抗力のない人間なら既に気を失っているはずなのだ。悪いが直接、拘束させてもらうぞ」

 直立したオブジェのようになって項垂れた蜜柑に、獣の手が伸ばされる。
 瞬間、蜜柑の目の前の空間がゆがみ、狼男が横へと吹き飛ばされた。