月のあなた 下(1/4)
磨かれた爪と、控えめだが同年齢とは思えない完璧な化粧。
人形の様な顔、人形の様な体。
いつみても白い歯をほころばせている口元。
後ろから見ても、上から見ても、綻びの無いスタイル。
底が見えなくて本物か疑わしくなる、黒目がちの瞳。
「ほら、先生がまってるよ」
手を伸ばして差し招く三石に妙な所は無く、むしろ落ち着いていた。
「う、うん」
五時丁度。
西側の窓から館内を染めるオレンジの光は、蜜柑の顔と、本棚の投げる陰から差し出された三石の腕だけを照らし出していた。
蜜柑にはそれが、本の世界から現実に戻るために差し伸べられた、梯子の様に思えた。
よく考えれば、わずか三時間のことに過ぎない。
結局自分がパニックになっていただけではないか?
あのことを知っている人間がいても、その人が”本当に思いやりのある人であれば”いいだけだ。
ただ黙っていてくれればいい。善意をもって、黙ってさえいてくれれば――。
(だったら、わたしから疑っちゃだめだ。)
目の前に差し出された、幽かな希望を逃がしたくなかった。
蜜柑は何とか自分を取り戻すと、
「待って」
三石の方へ走り出した。
二人は、図書館の階段を六階から五階へと降りて行った。
作品名:月のあなた 下(1/4) 作家名:熾(おき)