その人は
爪はいつも泥で汚れていた
その顔には幾筋もの深い皺が刻まれ
眼は茶色く濁っていた
油気のない髪の毛は海草のように
頭にへばりついていた
わずかばかりの野菜を積んだリヤカーを
腰をくの字に曲げて牽いていた
その姿をまねて子供たちはからかった
からかわれてもけして怒ることはなかった
黄ばんだ歯を見せて笑っていた
雨の日も風の日も畑で働いた
空っ風にさらされながら
地べたに這いつくばる日常は
正月も盆も関係なかった
大人たちはそんな姿を見て笑った
その人の家は朽ちかけた納屋のようだった
雨が降ると穴の開いたトタン屋根から
うるさいほどに雨漏りがした
一匹の痩せこけた犬が玄関先に繋がれていた
それが唯一の家族だった
その人が死んだのは梅の花が咲く頃だった
古い座り机の上に一冊の帳面が残されていた
日記と数編の詩が書かれてあった
素朴で力強く土の匂いのする詩だった
日記には日々の生活への感謝の言葉が書かれてあった
誰を恨む言葉も憎む言葉も書かれてはいなかった
その人は陽の当たる小高い墓地に葬られた
わずかばかりの花が供えられた
痩せこけた犬だけが墓石の傍らにいつも寄り添っていたが
その姿はやがて見えなくなった
その人は土に帰った