檻と棘と青空と
そこにある、青空が欲しかった。
頭上に広がる歪な青に手を伸ばす。抜けるような青を掴もうと伸ばした手は、しかしながら、虚しく空をかいただけだった。
代わりに、僕を取り囲む蕀が、伸ばした指を、腕を傷つけて、深紅の筋を幾つも幾つも作った。
この蕀は、僕を護るためのものだ。
鋭い刺が、僕に触れようとする全てのモノに突き刺さる。だから、誰も僕に触れることは出来ない。誰にも傷つけられることはない。
同時に、この蕀は僕を閉じ込める檻だ。
外からのモノから僕を護るために張り巡らせたそれは、僕の周りを隙間なく囲っている。
他人を傷つける鋭い刺は、外のモノを傷つけると同時に、触れた僕自身をも傷つけるのだから。
痛いのは嫌だ。他人からの痛みも、自分を傷つける痛みも。
けれど、頭上に広がる、蕀に切り取られた抜けるような青は、それが示す無限の可能性は、僕を魅了して。
自ら蕀を取り除く勇気もないくせに、痛みに怯えながらも、僕は手を伸ばす。当然、僕の腕は傷つき、血を流す。そうしてもがいても、手に入れたい青は僕のものにならなくて。
どのくらい、そうやって過ごしていたんだろうか。
気がつけば、蕀の傍らに、一人の男が立っていた。
男は僕に語りかける。
『そこから出てみたくはない?』
笑顔の男に僕は答える。
『それは無理だ。』
『どうして?』
『僕は、この蕀を取り除く術を知らないから』
蕀を生やすのは簡単だ。外を拒絶すればいいのだから。
けれど、この檻をあける術を、僕は知らない。隙間から手を伸ばす以外、外に出る方法を知らない。
僕の答えに、男は笑顔を深くした。
そして、手近な蕀を掴むと強く左右に開いた。
『何をするっ!?』
『出口を作るんだよ』
笑顔のまま、男は答えた。
蕀を強く握った彼の皮膚は裂け、血が滴っていた。
『手が・・・・・・』
『こんなもの、大したことはないよ』
『でも・・・・・・』
『大丈夫。私は君ほど軟らかな皮膚をしていないからね』
だから大した痛みはないのだと、笑いながら男は蕀を引きちぎる。
人一人が通り抜けられるほど大きく開いた場所からは、欲しかった青がいつもより広く、大きく見えた。
その青が。広さのせいだろうか、大きさのせいだろうか。
欲しかったはずの青空が。
何故か自分の想っていたものと随分と違う感じがして、僕は怖くなった。
『ほら、出ておいで』
差し出された腕をとった僕の指は、みっともなく震えていた。
見上げた空は、何処までも青く、高く、何処までも続いていた。
あまりに広く、あまりにも青い空。
何処までも広がっていて、何処までも行ける、空。
けれどそこには、僕を護るものは何もなくて。
僕を繋ぎとめてくれるものは何処にもなくて。
とても、怖かった。
たまらず、男の腕をきつく握る。
こんな広い場所に一人残されたら、僕はどうしていいのか分からない。
こんな広い青は、僕にはいらない。
『君は、広い空が欲しかったんだろう?』
『欲しかった・・・・・・でも、こんなに広い空は・・・・・・』
『広すぎて怖い?』
苦笑する男の言葉に、僕はこっくりとうなづいた。
広すぎる空は、何処までも広がる空は。
僕があこがれていた、空は。
頭上に広がる空は広すぎて。僕を押しつぶしてしまいそうで。
とてつもなく、恐ろしかった。
『檻が、欲しい』
ポツリと僕はつぶやく。
やっぱり、広い、広すぎる空は、怖いから。
僕が欲しかったのは、やっぱり切り取られた空だから。
だから。
『檻に、戻りたい』
けれど、蕀の檻は壊れてしまった。
もう、あそこには戻ることは出来ない。
途方にくれる僕に、男は再び笑いかけた。
そうして、腕にすがり付いていた僕の身体をすっぽりと包み込んだ。
『じゃあ、こうしよう。この腕の中が君の新しい檻だ』
ぐるりと僕の周りを男の腕(かいな)がめぐる。
『ここなら、君は空に手を伸ばしても傷つかない。何処までも広い空を見上げることが出来る。何処までも、歩いていくことも出来る。けれど、君は私から離れることは出来ない。君が行ける場所は、私と同じ場所だけだ』
男の腕の中はとても暖かくて。
今度の檻は、柔らかく僕を包み込んで、僕を傷つけない。
多少の不自由と引き換えに、僕は痛みと孤独から解放される。
それはとてもいい考えな気がした。
『じゃあ、改めて、自己紹介しようか。君の名前は?』
『僕の、名前は・・・・・・』
切り取られた青空に憧れた。
けれど手に入れた青空は、何処までも無限に広がる青空に、僕は竦んでしまって。
そうして、何処までも高く、何処までも広がる空を捨てる代わりに、僕は暖かい新しい檻を手に入れた。