心を軽やかに持ち柔軟に生きる
表現の自由というものは、どこまで許されるのだろう?
私はそのブログサイトの運営者に問うてみたい気がする。風紀を守るためというけれど、どこがその規約に抵触しているというのか。
自分でいえば愚かにしか聞こえないだろうが、私は人並みの常識は備えているつもりだ。今回も規約に遵守し、作品を削ったり書き直したりして、アップする前の推敲も十二分にした。今も改めて読み返してみたが、何の恥じるところもないと自信を持っていえる。読み直して僅かながらでも引っかかる場合は非公開にしようと思っていたが、何ら自分に落ち度はないとしか 思えないので、敢えて作品を引っ込めるようなことはしないと方針を変えた。
所属するもう一つの小説サイトでも、つい最近、またしても進退を考えるような出来事が起きた。人間関係のトラブルではなく、私自身の心の持ち様で進退を考えざるを得ない問題ができたのだ。
不思議なことだが、私が活動場所をブログサイト一本に絞ろうとすると、何かしら起こる。まるで、そうさせないように、しない方が良いと言われているようだ。もちろん、それは考えすぎというもので、ほんの偶然に過ぎないのだろうけれど。
他人からはつまらない、愚かだと言われようとも、私はささやかなプライドまで棄てることは難しい。
名を取るべきか?
実を取るべきか?
結局、難しくても、自尊心を曲げて眼を瞑るしかないのだろう。少なくとも今は。
作品は読者あってのものだし、折角、精魂傾けて書いた作品をつまらない納得できない理由で削除されてはは堪ったものではない。
きっと多くの書き手の中には、私と似たような悩みや思いを抱えておられる方は少なくないと思う。真相を打ち明けて相談してみたい気がするが、それは所詮、私の甘えというものだろう。
アマチュアとして書き続けてゆく限り、誰しもが陥りがちな悩みでしかない。
結局は自分の心と対峙して、もう一人の自分と相談して決めるしかないだろう。
何を最優先させるべきなのか?
そう考えてゆけば、今のところは、ささやかな(他人からはつまらないとしか思えないであろう)プライドを捨てるしかないと自ずから応えは出るではないか。
もう少し建設的とうか前向きな考え方ができれば良いのだが、今はどうやら、これが精一杯のようである。
つまらない話ばかりで、申し訳ない。
『心を軽やかに持って柔軟に生きる』
さて、そんな私ですが、一日経ち、また考えてみました。
―何のために、書くの?
読んで欲しいから、それも確かに書く動機の一つだろうけれど、やはり一番の動機は
―書きたいから、書くことが好きだから。
それに尽きると思う。
なのに、どうして難しく考えるのでしょうか。
友達にも、もう少しゆったりと構えた方が良いと言われるときがある。
良くいえば真面目、悪く言えば、融通がきかないともいえるんだろう。
さんざん書いておいて、この変わり様は何ですが(自分でも恥ずかしい)が、まあ、なるようになるだろう。
自分が書くことを止めたり諦めたりさえしなければ。
以前にも言ったように、どこででも何とかそれなりにはやってゆける。
なので、今はもう必要以上に難しく考えるのは止めようと思います。
流れに任せてみようかと思います。
『地道に積み重ねていくしかない』
結局、それしかないのかなと―。
思い至りました。
私には華やかさはありません。私個人の性格もそうであるように、書き手としても
そういう華はないと思っています。
ただ、良い意味でも逆の意味でも、それなりの個性はあります。
そして、そういう個性を良いと思って下さる優しい読者さんも少数ながらいます。
とれだけ他人を羨ましく思っても、自分は自分にしかなれない。
いつか、そういう話を聞いたことがあります。
裏腹に、他人の得た境遇を羨ましいと思うようになると、自分がせっかくもって居る
良い個性も失ってしまいがちだとも。
そんな私ができることといえば、やはり、書くことが好きであるという元々の気持ちを
大切にしてゆくこと。
後は地道な努力を―具体的にいえば、
一つ一つの作品と丁寧に向き合い、きっちりと仕上げていくこと。
その二つしかないように思います。
そして、そういう一つ一つの作品をたとえわずかでも読み、良いと思って下さった方
の反応や気持ちが、これからの私の糧になることでしょう。
成果や評価は、そういう地道な努力の先にあるものだと考えます。
ブログでも小説サイトでも、基本はやはり、その積み重ねです。
ゆずれるところまでゆずっても規約に抵触するのであれば、仕方ない。
所詮は、そこまでの場所だいうことです。
それから先は流れに任せるしかありません。
ささやかなプライドというのは、裏返せば自分の思い上がりかもしれません。
今の自分を謙虚に認め受け容れてこそ、先に進める。
そのようにも思います。
基本はやはり、書きたいという気持ちでしょう。
他の書き手の皆様もそうであるように、その純粋な気持ちがあってこその書き手
です。もしかしたら、書き手としての存在意義は、それにつきるかもしれません。
逆に、それうえあれば大概のことは何とか乗り越えられるのではないかと考えるのは
少し楽観的すぎるでしょうか。
ですが、結局のところ、我々書く者にとって一番大切なのは気持ちなのでは―。
これから先、何があっても、それだけは大切に見失わないようにしていきたいと思います。
作品名:心を軽やかに持ち柔軟に生きる 作家名:東 めぐみ