フィメール・チョイス
そこは物静かなバーである。普通の男と飛びっきりの美人が向かい会っている。残念ながらどう見ても不釣り合いである。
女はX子。彼女は美人で頭も良い。まだ三十代というのに、自分の才覚だけでひと財産を作った。唯一の欠点が男を見る目がないこと。イケメン好きで、いつもろくでもない男をひっかかり、恋は長続きしない。今回も儚く散った恋の顛末を、数少ない男友達であるYに聞いてもらっているのだ。Yは仕事もほどほどできるが、これといった特技もない。イケメンでもないし、体躯はずんぐりとしている。
「そもそも、生物学的にいえば、女が男を追い求めるのは間違っている」とYと言う。
「どう意味よ?」
「フィメール・チョイスという言葉を知っているか? 簡単にいえば、オスがメスの前で自己アピールする。メスは気に入ったなら、オスの愛を受け入れる。孔雀がいい例だ。オスは羽を広げ華麗な姿をメスに訴える。メスはオスのアピールを待つだけで良い。君みたいにメスの方からアタックする間違いだ」
「アピールするオスが現れるのをじっと待てというの? できるならそうしたいけど、そういうわけにいかないのよ。私も焦っているの。いつの間にか、三十三になってしまった。この前、独りで暮らす父が、“このままだと俺は孫の顔を見ずに死ぬな”と寂しく言うの」
「俺だって独りだよ」とY。
「いいじゃない。男はいつだって子供を作ろうと思えば作れるんだから。でも、女は三十七までが限界よ」
「お前、そんなに子供が欲しいのか!」と驚いた。
「私だって、女に生まれたからには、一人くらい欲しいわよ」
「だったらイケメンなんて追っかけるのは止めて、ほどほどのところで妥協しろ。三十三じゃ、もう賞味期限が切れる頃だろ?」
「はっきり言うのね」とX子。
「ごめん、今日は少し酔っている。酔ってついでに言っていいか?」
「何を?」
「君のフィメール・チョイスの中に俺を入れてくれないか」
X子はグラスを止めてYをじっと見て笑った。
「俺はまじめに言ったつもりだぞ」とYはしかめっ面をした。
「そう思ったから、笑ったの。帰るわ」
席を立とうとするX子が窓ガラスに映った。まるで女神のように気品にあふれている。
「明日、覚えていたら、返事をする」と言って消えた。
これが彼女流の優しさだ。大胆だが、決して男を傷つけまいとする優しさがある。明日になったら、貝のように沈黙するだろう。忘れたふりをして。
「良い返事を待っているよ」
X子がバーを出た後、Yは独りごとのように呟いた。
「結局、俺は対象外ということだ。しょうがない。彼女の好みではないということだから。俺も別の女を探すか」
もうじきクリスマス。今年はいつもより寂しくなるとYは思わずにはいられなかった。いつもそばにいたX子が転勤して遠く所に行ってしまうからだ。
作品名:フィメール・チョイス 作家名:楡井英夫