あぶく
父が唐突に質問してきた。普段の入玲ならばまともに取り合う事の無い質問だった。だが、父が、こんなどうでもいい事をわざわざ尋ねてくるという事そのものが、奇妙に感じられた。入玲はのろのろと箸を使いながら、それと同じ速度で父の質問に答えていた。
「ツツジは、駅前に植えてあるやつでしょ。すっかりしおれちゃって、だれか水をあげないと駄目ね。サツキは、もっと花が小さくて葉っぱの形が全然違うんでしょ。比べてみないとよく分からないけど」
父親はソファの上で体を捻って食卓の方を見た。その顔には得意げな笑みが浮かんでいた。
「違うんだなー。ツツジ、という花は無いんだ。いいか、そんなものは何処にも無い。ただツツジ科というのがあるだけなんだ。駅前のやつはサツキさ。何とかサツキって名前がついている。だが、ツツジ。と言って済ませているのはだね。トラやライオンを見て、猫だ。といっているのと同じなんだ」
「へえ。そうなの。でも急にどうしたの。そんな雑学まめ知識なんてひけらかせちゃって……」
母親がまずそう答えた。その声には先程までの不機嫌さは微塵も感じられなかった。そして入玲は、箸の動きが止まっていた。虚をつかれたという表情を浮かべている。「早く食べなさい」母親が叱責する。不機嫌な声だった。
その時、入玲の体の中には、無数のあぶくが湧き立ち始めていたのだった。入玲はむず痒さをこらえるように息をつめ、身体を固くした。だが、あぶくはなおも湧き立ち、喉元へと上がってくる間にどんどん大きくなっていった。それは押し止めようがなかった。まず、最初のあぶくが「フツ」という音を立てて、唇の間で弾けた。それからは、もういつ果てるとも知れないあぶくの噴出が始まったのである。
「ふざけてないで、ちゃんと食べなさい」
母親は入玲の様子に気付いて、まずそう言った。それから後、夕食後の団欒は完全に崩壊した。入玲は椅子から転げ落ちて、なおもあぶくを吐き出しつづけている。父親が新聞を放り出して、入玲を抱きかかえて、ソファーに寝かせる。母親はコップ一杯の水と、タオルを持って、入玲に口に水を流し込もうとしたが、タオルで押さえている時間の方がおおく、むしろ必死で口を押さえているようにしか見えなかった。
「馬鹿。手を離さないか。息ができないだろ。おい。落ち着け馬鹿」
原因が何なのか、両親には分からなかった。誰にも分からないのかもしれない。
入玲のあぶくは、まだ尽きない。