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番外編 信長の人柄と偽りの歴史

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次は信長編の最終章なんですがここでちょっと番外編。
信長の性格や実像そして今我々が知る信長像は誰がなんのために作りだしたのか?
そして信長がなぜ第六天魔王とまで呼ばれ恐れられたのか?
信長は実際はどんな人物だったのか?
この辺の話をしていきたいと思います。
今回の話しは最終章にいく過程で重要になっていきます。
また、これを読むと信長の見方が変わると思います。
まず作り出された信長像について
信長は取っつきにくい難しい人ですぐ切れて相手を殺す。かなり危ないやつと現代に伝わる。
それなは誰しもが聞いた事のある
『鳴かぬなら殺してしまえほととぎす』が大きく関わってくる。
秀吉は『鳴かぬなら鳴かせてみせようほととぎす』
家康は『鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす』
これらは信長、秀吉、家康、天下を取った3人の性格を表したものと現代に伝わるもので、皆せさう習ってきたものである。
ただこれ後世の人が作ったもので、その時代を表すものではない。
なにより、作られた歴史を信じた人作ったもので信憑性はまるでない。
これは直訳すると信長がいろんな人を殺してきて、秀吉は、信長が倒せなかった敵を倒し、家康が秀吉の死んだ後天下を取ったという事になる。
ただ順番に並べただけでこれがもし秀吉と家康が逆でも同じだろう。
ただ信長の評価は変わらない。なぜなら信長を悪者にしたてたのは、秀吉と家康だからである。
どういう事かというと秀吉は天下を統一した名君で関白、太閤と登り詰め。朝廷から『豊臣』という名前まで貰った人物。
家康は秀吉のあと天下を治め征夷大将軍になり江戸に幕府を開く、そして東照宮に祀られ、神と崇(あが)められてる人物である。
何が言いたいかというと、信長の後の織田の末路を知っている人は薄々感づいていると思う。
織田家は信長だけが突出している事。そう、『うつけもの』なのである。
『うつけもの』というのは変わった人、変な人、おかしい人、という意味で使われる。
この場合信長は『ふつうじゃないよねあの人』とか『何考えてるか分からない危ないよあの人』
という事になる。
この印象こそがのちの信長像を作りあげたといっても過言ではない。
秀吉は自分の評価をあげるために、家康は徳川の格をあげるためと自分は凄いんだと思わせるためにまんまと信長は利用されたのである。
いくつか例をあげていこう。
まずはじめは家康の息子信康と正妻築山殿殺害、次に延暦寺焼き討ち事件、そして、明智光秀の家康接待途中に突然切れて乱暴。このあたりだろうか。
はじめにあげた事は1度話題にあげているので詳細は省きます。
伝えたい事は家康が自分の意思ではなく信長に言われて泣く泣く殺したと言う事である。
次にあげた延暦寺焼き討ちは信長が第六天魔王と呼ばれるきっかけとなった事柄である。
詳しく話すと、信長は浅井朝倉を攻めた時比叡山延暦寺が浅井朝倉をかばったから腹がたって攻め女子供を容赦なく殺した。信長は神仏を恐れぬ非情な人で神仏の上の第六天魔王つまり神や仏の上にたつ存在だと言う事です。
でもこれは多くの誤解があります。
まず始めに浅井朝倉を庇ったから腹いせに攻めたは全くの嘘である。
延暦寺は寺とかいているからふつうのお坊さんがいるところに拝みに来た女子供を殺したと今の人は解釈してしまう。がこれが大きな間違いで延暦寺は坊主達が束ねる武装集団。
本願寺を思いだしてほしい。これ戦う坊主の武装集団で信長が10年手を焼いた相手である。
でもそれよりたちが悪いのが延暦寺である。
延暦寺はまず立地がいいのだ東から京に上るとき必ず通る位置にあり、しかも幕府より治安維持を任され、通る人達から通行料などを取っていた。
これは『通りたければ通行料を払え払わないとこの先何があってもしらないぞ』と仮に払わない人がいると途中で襲い金品をとりたちが悪い坊主は金を払ってないからと平気で殺してしまうのである。
野党や盗賊なら制圧すれば済むが、延暦寺は弘法大師につながる仏教の総本山攻めると、仏に手を出す仏敵と汚名を着せられるのである。
よってどの大名も手が出せなかった。
信長はそれは許せんと立ち上がる。実は英雄なのである、が、信長が英雄では困る人物がいる。
そう、秀吉、家康である。そこで考え出したのが、女子供虐殺である。
実際のこの事件実は大したことではないこんなに取り上げられる話ではないのだ。
どういう事かというと、延暦寺焼き討ちはたしかにあったでも焼いたのは全部じゃなくて一部だけ、そして女子供にはちゃんと逃げ道を作っている。実際にはそんなに殺されていないし、寺に籠る僧兵を倒しただけである。ここで注目したいのは秀吉の行動、この時女子供を殺した張本人こそ秀吉である。秀吉は歯向かう敵を容赦なく殺しているのである。でも自分でやった事になると閥が悪い、そこで主人である信長に言われて殺した事にすれば面目がたつ。
こうして第六天魔王信長が誕生したのである。
そして次は光秀であるこれは本能寺の変に繋がる話しなのだがこれも作り話である。
同盟しているとはいえ自分の家臣を売るような真似は絶対しない。なぜなら信長はなんでも許してしまう人であり、しかも仲間を第一に考える人である。
そのため目の前で失敗を攻め、家康が『私に免じて許してあげて』とは到底ならないのである。
これは、『信長に光秀がそこまでされたら本能寺の変起こす気持ちも分かるわ』と回りに思わせるためのものだったのである。
本能寺の変については最終章で詳しく話します。
こうして偽りの信長像は作らていったのです。
では本当の織田信長とはどういう人だったのか?
信長は戦のセンスと新しいもの好きというのは本当です。
性格はというと優しく、仲間思いで、裏切らても許してというといいよと言っちゃうタイプ。
例をあげると、松永久秀に2回裏切れ2回とも許している。
信長は許したが久秀のほうが自殺する。
荒木村重にも裏切られるが『帰ってこい』と言ってるが村重が逃げてしまう。
弟信行の時も『兄貴悪かった』と言われたら『いいよ』と許している。このときも信行のほうが再び謀反を計画、重臣にばれた事により殺された。
浅井長政の時も信長は最後まで『一緒にやろう、俺の後はお前しかいない』と言っているが、これも長政が拒否戦う事を主張し最後は自殺。
本願寺にしても延暦寺にしても信長は丸く収まる方法を提案している。
これらの事からしても信長が残忍、恐怖の人というのはデマなのである。
ではお人好しの信長がなぜあそこまで登りつめたのか?
それは人望と回りの家臣に恵まれていた事。
そして先を見ることができる目を持っていた事、それに生まれながらに備わっていたセンス。
それらの総合的な能力が高く身内を一番に思う統率力これに尽きるのである。
にわかには信じがたいだろうがこれが真の信長像であり、
織田信長の真実なのである