第四章 信長上洛
それは室町幕府第13代将軍足利義輝の弟足利義昭の登場です。
京を追われた義昭は将軍になるべく色々な大名の所に行って『上洛して自分を将軍にして』と頼みに行きます。でもどの大名もなかなか首を縦にはふりません。
そこに注目を浴びる信長の情報が耳に入ります。
半ば諦めムードの義昭は『誰でもいいから京に連れていけ』と近臣の明智光秀と細川藤孝に頼みます。
ダメ元で行った信長はなんと二つ返事で『喜んでやらせていただきます』と快諾。これに喜んだ義昭は信長に大義名分を与え信長の上洛に協力。
一方信長は甲斐の武田信玄と同盟を結び、背後の脅威を削いでから上洛に乗り出します。
信長にとってもチャンスで将軍を立てて京に上がれると言うことはいわゆる官軍。
しかも、京にはいれると願ったり叶ったり。
双方の利害が一致し、いざ京へ出発。
まず立ちはだかったのは南近江(滋賀県)の大名六角義賢である。
武勇で知られた義賢であったが北近江(滋賀県)の浅井長政が信長の妹、市を嫁にする事で同盟を結んでしまい。両軍に挟まれた義賢はなす統べなく壊走。
元々浅井とは小競り合いをしていたがそこに信長の軍が加わったら勝てるわけがなかった。
そして信長は将軍を殺害し京を乗っ取った三好の残党と三好三人衆らを撃破遂に京に入ったのである。
この時織田軍は略奪行為等を一切せず京で信長軍の評判が上がり、信長が統治することを喜んだ。
無事義昭を15代将軍につけ役目を果たした信長だったがこの事から信長の波乱の人生がはじまる。
一方家康は信長同様信玄と同盟し今川領に浸入今川家の領地駿河と遠江の一部を手に入れます。
その後家康にも最大のピンチが訪れます。