第三章 信長天下取りへ
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これにより背後の敵が居なくなった信長は三河より東を家康に任せ、自らは美濃攻略へと向かうのである。
美濃の斎藤家の居城稲葉山城は天然の要害で簡単には攻められない、それに加え道三が鍛えた美濃の兵は強かった。
そこで美濃と尾張の国境に城を造る事を思い付く。
だがそこは斎藤軍にとっても重要な土地であるなかなか上手く行かなかった。
その頃の斎藤家は道三を倒した義竜がすでに亡く子の竜興が当主の座についていた。
義竜は戦上手で知られていたが竜興は武将としては非凡で家臣たちからの評判もよくなかった。
そんな折一人の男が台頭してくる。
その名は木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)である。
藤吉郎は重臣達が城作りに苦戦してるのを知り名乗りを挙げる。
当時の藤吉郎はまだまだ下端で軍義や重臣まして信長に意見をいうなど許された立場ではなかった。でも能力主義の信長は気にしていなかった。
藤吉郎の提案を呑んだ信長は藤吉郎の首と引き換えに全権をたくした。
城と言っても城郭があるわけではなく砦のようなものだ。
藤吉郎は事前に組んだ筏を川に流し現地で組み立てるという現代のプレハブ作りにこの時代に取り組んだのである。それまでどうよう斎藤軍に攻撃されるが組み立ててあるものをはめ込むだけだから攻撃が本格化する前に城が完成!そこに信長本隊が合流し斎藤家を撃退。
この功績により藤吉郎は家臣に取り立てられ城の守備を任される。
この時名前を木下藤吉郎秀吉と解明する。
その後は稲葉山城に攻めいるも攻めきれず膠着状態が続くが秀吉が美濃三人衆を調略!
この機を逃すまいと信長は稲葉山城を総攻撃!
支えを失った斎藤竜興は逃走!ここに信長の美濃攻略は成功し尾張と美濃の二国をもつ大大名にのしあがったのである!
この美濃攻略で京が見えた信長は天下取りへと動き出す。
この時稲葉山城を岐阜城と改め、家印を『天下布武』に改める。
一方の家康は家臣を含む一揆にあい鎮圧に奔走。
年月はかかったがなんとか三河を統一し大名の階段を登って行く!
天下を取る3人は着実に力をつけていくのである。
この後信長が狙うのは京。家康は名を徳川に改め徳川家康となのり今川家の領土に進出していくく事になる。
作品名:第三章 信長天下取りへ 作家名:緑茶