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第二章 信長が有名に

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尾張には管領の斯波氏とその重臣に同族の織田家がいた。
尾張の主城である清洲城は要塞である尾張半国しか収めてない信長にとって清洲城を普通に落とす事は容易ではないまして内紛が終わったばかりの信長軍にとって数でも勝る清洲城は天敵である。そこで信長が考えついたのが戦わずして城をとる方法だった。地元の農民たちを味方につけ、旅芸人に成り済ました信長一行は宴が催される清洲城に潜入し、頃合いをみて、忍ばせていた刀で敵を打った。清洲城の重臣を倒された兵士たちは逃げ最小限の犠牲で清洲城を落としたのであった。ここに尾張は信長の手により統一されたのである。
だがしかしそんな信長を尻目に虎視眈々と上洛(京に行く事)の機会を狙って動き出した武将がいた。東海一の弓取り(武力に秀でた物)といわれた今川義元である。
今川義元は三河(愛知県南部) 、駿河(静岡県西部)、遠江(静岡県北部)を領土に持っている大大名である。隣国の甲斐(山梨県)の武田晴信(のちの信玄)、相模(神奈川県)の北条氏康と甲相駿三国同盟を結んでおり、敵は目の前の織田信長だけだった。
国力の差と兵力の差は歴然でまわりの大名は今川義元が上洛間違いなしと思っていた。
だが一人それを覆せると思っていた人物がいる、そう織田信長その人である。
信長は幼い頃から走り回っていた山や森、地形、などをよく熟知していた。
それに加えこの頃の信長は情報収集にも力をいれていた。
地元の農民や草(忍)を使い情報を事細かく伝えさせ義元軍の動向を伺っていた。
信長の重臣たちは約十倍にもなる義元軍との直接対決を避けるため籠城を主張する。
しかし信長は軍義の決議をせず自分の部屋に籠ってしまう。
そんな時信長の元に朗報が届く。
信長の草をしていた梁田が義元本隊の居場所を掴んだのである。
ここしかないと立ち上がった信長は自分が好きな舞『敦盛』を舞う。
『人間50年下天の内をくらぶれば~』敦盛を舞終わった信長は身近な家臣たち5人くらいを共として城を飛びだした。信長出陣を聞いた重臣たちはあわてて後を追う。
熱田神宮で戦勝祈願をし関の声を挙げる!
『えいえいおー』『えいえいおー』
熱田神宮から出立し戦場に向かう途中雨が降ってくる。これで蹄の音を消せる
ここで信長が『天は我に味方せり』と叫んだ。
ここからは見解が分かれるところだが田楽狭間で義元軍が休息中というのが一般的だが私の見解は違う、『義元軍の本隊が桶狭間山にて休息中』、と報告が入る。
山と言っても私たちが現在考える山ではなく少し小高い丘みたいなもの。
よくハイキングなどをする小さな丘だ。
この時降り始めていた雨が雷雨に変わり信長軍の行軍を助けた。
信長軍2500が義元軍の本陣が見えるところまできていた。
雨が止んだところで信長軍は義元本陣へ突撃兵力では義元が勝っていたが勢いのある信長軍に押されていた。義元は愚将と思われがちだがこの時自ら刀を抜いて勇敢に戦っている。
名刀一文字で織田軍に挑むが勢いに乗じた織田の兵に押され最後は毛利新助に止めをさされ討ち死に。今川軍は大将を失った事により自国に逃走。
信長は約10倍ほどの兵を最小限の犠牲で勝利したのである。
犠牲を減らして勝つ方法は信長の得意な戦法だがなんなくやってのけるのが信長の凄い所である。
今川軍壊走の一報は全国を駆け巡り信長の名前が一気に有名になった瞬間であった。
この時今川軍に人質の身で一軍を任されていた松平元康が今川から独立。
自領の三河岡崎城に入りなを松平家康と改めこれから信長と家康の天下取りが始まるのである。
信長の次なる目標は義父道三を打った道三の息子義竜がいる稲葉山城である
一方の家康は三河の統一へと向かって動き出す。

作品名:第二章 信長が有名に 作家名:緑茶