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作者はヒーローに恋をする

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『作者はヒーローに恋をする』
 
 誰かを好きになる、恋をする。現実世界では、既に遠く過ぎ去った過去のことになった感がある今日この頃だ。数年前、そんな自分でもまだ『恋』ができるのだと実感した出来事があった。
 正確に言えば、本当の恋ではない。限りなく恋に近いけれども、恋ではない。つまり、疑似恋愛とでも呼べるだろうか。たまたま記念写真を撮って貰ったプロのカメラマンで、とても素敵な男性だった。理屈とは抜きの気持ちが突然、訪れ、気がつけば胸がときめいていた。
 もちろん、私は家庭持ちだし、その気持ちを表に出すつもりはなく、ただ胸に秘めていただけの淡い『恋』、まさに恋とも呼べない恋だった。次にその写真館に行った時、その人が前回にはしていなかった結婚指輪をしていたのを見た時、私の中で『恋』は終わった。
 たったそれだけの一方的な想いは呆気なく終わりを告げたのだ。しかし、久々に体験した心のときめきや高揚はけして悪いものではなかった。私は記念に実体験を小説に仕立て上げ、それは本当に終わった。
 こんな話をするのも恥だと思うが、主人と結婚してから既に十八年の中で、『恋』は後にも先にもこれ一度きりだった。もちろん、二十代の独身の頃には、まあ、乏しいにしても恋愛や恋は何度かはあった。が、ここのところは年齢的にも立場的にも恋なんて、およそ縁のない話である。もちろん、それが平凡な主婦としては当たり前のことではあるのだが。
 そんな私に、ケータイ小説サイトの読者さんが訊いたことがある。
―どんなタイプの男性が好みですか? どのくらい恋をしましたか?
 私はこの質問に対して、こう応えた。
―私は恋多き女なんです。
 誤解して頂いては困るのだが、この恋多き女というのは、むろん実体験ではない。最近、私は思うのだ。
 作者は自分の書いた小説作品に登場するヒーローに恋をする。ヒーローというのは、女性主人公、つまりヒロインの相手役である。考えれば、これは小説らしきものを書き始めた当初から繰り返してきた『恋』のような気がする。
 作品を書いている中に、次第にヒロインに感情移入していき、ラストでは相手役の男性にすっかり恋をしてしまっている。それが毎度のパターンだ。
 ドラマを見てイケメン俳優がいれば、書き上げたばかりの自作に登場したヒーローは、あんな風ではないかと夢想、いや、この場合は妄想と言った方が良いだろう―する。
 他人が聞けば実にくだらない話だろうが、作者は大まじめなのだ。
 だから、新しい作品を書く度に私は新たな男性に『恋』をする。作品が完成してしばらくはその恋の余韻に浸っているが、またほとぼりが冷めれば、次の恋に向かって走り出す。つまりは、次の作品のことを考え始めたときが『恋の終わり』であり、『新たな恋の始まり』といえる。
 私は小説というものは書き上げて世に出す、つまり発表してしまえば、それはもう嫁に出した娘と同じだと思うことにしている。煮て食おうと焼いて食おうと好きにしてください、というヤツである。嫁に出した作品が他人にどう思われたしても、それは仕方がない。作者はこういうつもりで書いたとしても、その創作意図を読者に理解して貰えるとは限らないし、また、評価して貰えるとも限らない。もしかしたら否定されるかもしれないし、運が良ければ、自分でも気づかなかった作品の長所を引き出して貰えることも稀にはあるかもしれない。
 書き上げた作品に愛着を抱くと、その余韻にいつまでも浸っていることになるが、それも良い加減のところで気持ちを前に向けて、次の作品のことを考えることにしている。そうやって気持ちや考えの転換を図りつつ、新しい作品に向けて集中していく。
  逆にいえば、私の場合、ヒーローを好きになれるからこそ、作品も書けるのかもしれない。もちろん、ヒーローだけではない、ヒロインにもまるで自分自身のことのように愛着をいだく。
 これが良いというわけではない。あくまでも、私の場合に限っての個人的な話だと割り切って聞いて頂きたい。なので、私は自称『恋多き』女なのである。 好きな男性像も今まで書き散らした駄作の数だけあるという勘定になる―笑
 だから、そのケータイ小説の読者さんにも、その『恋多き女』という意味深な言葉に潜む真相と真実はもちろん伝えた。
 さて、そろそろ次の作品について考えるときが来た。今度はどんな男性に出逢い、新しい『恋』をするのだろうか。少し楽しみで、わくわくする。
 しかも、この『恋』は誰に何度恋をしても良いし、自由だ。そう思うと、小説を書いて『恋』ができるなんて、自分としては幸せなことだと思うのであるが、やはり、いささか私は風変わりな人間なのかもしれない。

『作者はヒロインにも恋をする』

 一昨日でしたか、自分は作品を書く時、自作のヒロインの相手役に恋をするんだ―なんてことを書きました。あれから、あんな心の中のことを書いちゃって良いのかな、公表して良いのかなと悩んだりしていたのですが、女性の方から続けて共感のコメントを頂き、やはり、女の人には自分と似た人もいるんだな! とホッとするやら、勇気づけらるやらでした。
 今日は、その逆の視点から感じることをお話ししてみようかと思います。うーん、逆の視点という言い方もおかしいかもですね。だけど、私の場合、小説を書くときに恋をするのは何もヒーローだけじゃなくて、ヒロインもしかりです。
 エ、女が女に恋をする!? あ、でも誓って、そこまで怪しい人ではありません。私はガールズラブには基本、興味はありません(もちろん、偏見も一切ありませんが)。
 作品を書いている中にヒーローに恋をするんだと書いた時、同時にヒロインにも感情移入してしまうんだということも言いましたね。そう、まさに〝感情移入〟=恋をする、そういう意味です。言い換えれば、共感するということかもしれない。だからこそ―作者とヒロインが心情的に一体になるからこそ、ヒロインの恋する相手役のヒーローに作者が恋をしてしまうんですね。
 例えばですが、最新作を例に挙げると、二年ぶりに書いた韓流小説のヒロイン、ソナちゃんですね。とっても大好きになりました。自分の書いたヒロインに入れ込むと、ナルシストとか自己満足とか言われそうですが、そういうのでもありません。この間はヒーローに恋だなんて言いましたけど、もしかしたら、今回はヒーローよりもヒロインの方をもっと好きになったかもしれません。
 このまま物語を終わらせてはソナちゃんが可哀想なので、続編を書くこともひそかに検討しています。もちろん、ソナちゃんが全身全霊で愛した王様ハンも好きですが―笑
 要するに、ここまで書いてきて、作者というのは自作の登場人物を愛するんだな、また、愛さないと作品は書けないんだろうなと改めて気づきました。
 書き手の皆様はどうでしょうか?