33粒のやまぶどう (短編物語集)
甲子園を目指しての県大会、その9回の裏、スコアは2対1。2塁3塁に走者を出してはいるが、すでに2アウト。このまま逃げ切れば、甲子園に出場できる。
マウンドに立つ拓史(たくし)は2ストライクと打者を追い込んでいた。
「拓史、頑張って!」
マネージャーをしていた幸子は大きな声をかけた。しかし、この声援はいつもと違っていた。それまでは「拓史君」と君付けをしていた。だがこの時は本心の叫びなのだろうか、より近しい呼び捨てとなってしまった。
拓史が微かに頷いた。甲子園に共に行き、そこから一緒に生きて行こう。そんな決意を高校生なりにもしていたのかも知れない。
拓史は勝利への1球を、キャツチャーの洋一が構える外角一杯に投げた。そのボールはそこへ真っ直ぐ吸い込まれていく……、はずだった。
だが、幸子への雑念が襲ったのだろうか、白球はホームベースの前で不規則なショートバウンドとなった。
きっと洋一もここ一番の球筋に慌てたのだろう。普段なら身体で止めるところだったが、後逸してしまった。
当然、3塁走者はホームへと突進する。洋一はバックネットへと駆け寄り、そこで拾い上げたボールを、カバーに入った拓史に返した。しかし、3塁走者はすでにホームベースを踏んでいた。
同点だ。しかしまだチャンスはある。ここで辛抱すれば良かった。
しかし、2塁からの走者は3塁ベースから大きく飛び出してしまっている。拓史は血が騒いだのだろう、3塁カバーに入っていたショートの大介に投げた。しかし、今度はこれを大介が後逸してしまった。
結果、3対2の逆転サヨナラ負け。まったく下手な野球をやってしまった。そして甲子園への夢は露と消えてしまったのだ。
エラーの連鎖で自滅。拓史と洋一、そして大介は自分のプレーを責めた。
そして幸子は、この不幸の始まりはあの時叫んだ「拓史!」からだった。ここ一番のあの場面で、恋心をむき出しにし、拓史に心の負担を与えてしまった。舞い上がった自我で、みんなの夢を奪ってしまったと悔やんだ。
しかし、もう時は返らない。
それ以来、拓史と幸子はもう目を合わすこともなくなった。
作品名:33粒のやまぶどう (短編物語集) 作家名:鮎風 遊