風待ち人形
いらっしゃい、ともごもごと口の中で呟いて、値踏みするように小さな丸眼鏡越しに来客を見つめる。こんな田舎では知らない人間なんて珍しい。
「何か用かね? こんな田舎に」
あの、と、扉の外と店主を見比べてから、旅行者らしきその来客は口火を切った。まだ若い声が少し乱れていた。
「ここから見える、あの岬にある人形は一体……?」
「ああ、魂取り(たまとり)人形のことかね?」
「魂取り人形?」
いわくありげな名前に、来客はまた戸口を振り返る。人形の姿は見えぬものの、岬のヘリが微かに見える。
店主はそれには目も向けず、年代物のパイプを取りだすと柔らかな布でゆっくりと磨き始めた。ヤギを思わせる白いひげをもぐもぐと動かして言葉を続けながら。
「実際には、台座には風待ち人形と銘が打ってあると言うがね。この町じゃ誰もその名じゃ呼びはせんでな……。魂を取る風を待ち、人を黄泉路の旅に誘う人形じゃから、魂取り人形じゃと」
「魂を取る風……ですか?」
「おや、信じないかね? ……まあ、お前さんみたいな若い者には無理もないが。じゃがあの人形は確かに、わしのじいさんの末の弟の魂を持っていっちまったよ。魅入られたという奴かねぇ」
パイプに安物のタバコを詰め終わると、店主は軽く肩をすくめ、遠い目で短く低く笑って話を終えた。それきり、あの人形とは係わり合いになりたくないと言わんばかりに目を伏せて。
だが逆に来客は更に興味を持ったようだった。
「それで? 詳しい話を教えてくださいよ。……ああ、そうだ。このタバコとクラッカーを頂きますから」
一方的に支払われたのは代金には多すぎる、銀貨が一枚。
客の熱意に負けたか、店主は銀貨をちらりとしょぼしょぼの目に映すと、渋々といった具合でまた口ひげを動かし出した。やれやれ、と息を吐いて。伏せた目が一層遠い景色を宿す。
「好奇心の強い人でな……。言い伝えが本当かどうか調べてくるとか言うて岬まで行ったはいいものの、夕方頃焦点の合わん目をしてふらふら帰ってきて。何やらぶつぶつと……あの宝石のような目はどこまで遠くを見ているのかとか、あの花びらのような唇が綻んだらどんな調べを紡ぐのかとか、あの人形を誉めるような言葉ばかり呟いてなぁ。詩的なところの欠片もない人間だったのに、その言葉は何や熱に浮かされたようで……わしは子供心に恐ろしかったが……」
店主の口ぶりからもよく分かる追憶の色は真実の証拠。
客は食い入るように店主の話に耳を傾け、そのちっぽけな姿を見つめていたが、ふと目を上げた瞬間に飛び込んできた小窓の光景に強烈に目を奪われた。手から買ったばかりのタバコがぽとりと落ちる。
店主はまだ何も気付かないのか、これが最後の締めくくりだと言うようにこほんと咳を一つ零した。
「恋すれば犬も詩人とはよく言うたもんだねぇ。……いやはや、恐ろしいことだよ、お前さん。あの人形のことなら、悪いことは言わん。忘れちまうこったな。……お、おい、お前さん、どこへ行く気……」
追いかける言葉も届かない客の背中を見送るでもなしに見送ると、店主は相手を止めようと伸ばしていた手を下ろした。諦め代わりにタバコに火をつける。ぷかりぷかりと紫煙が立ち上るのに合わせて日が暮れていく。
―――そして、帰らぬ男がまた一人。
店主はやれ恐ろしと首を振ると、閉店の証に岬の見える小窓のよろい戸を下ろしたのだった。