私の読む「源氏物語」ー86-手習3-3
「 その宇治院で見つけた女人は、この度のお召しで山を下りたときに、拙僧が小野に住んでいる尼達の尼庵を尋ねた折に、泣きながら出家の気持をしみじみと訴えるので、拙僧が剃髪して戒を授けました。妹の故衛門の妻でありました妹尼が、その女を自分の亡くなった娘の代わりにと、思って喜び、分相応に大切にし、世話をしておるのでござりましたのに、かように尼になってしまったから、妹尼は拙僧を恨みますのである。妹尼の恨むのも道理で、その女人の容貌は、整うて綺麗なので、こんな美しい人が、仏道修行のための勤行に容姿が衰えるのかと、可哀想に思うのです。そもそもその女人は、素姓はどんな人でござりましょうか」
と、何かとよく話す僧都なので、このように話し続けると、小宰相が、
「どうして、そんな恐ろしい所に、美しい人を、変化の物はさらって行ったのであったのであろうか、たといそう何人か素姓不明であったとしても、現在では、その素姓は知られてしまったであろう」
と僧都に問いかける。
「素姓が知られたか否かは存じませぬ。けれども、素姓を知られてしまうように、妹尼などに語っているでござりましょう。本当に身分の高い人であるならば、素姓の知られない事はないとおもいます。世に隠れて人に知られない事はござりますまいからなあ。田舎の娘でも、そのような美しい者はいます。田舎娘も竜の中から仏が誕生なさらないならば、いかにも醜い者もござろう。然し、竜女成仏と言って、竜の中からも仏が誕生なされる。この女は身分のない平人としては、前世の罪障が軽い人で、あるようです」
明石中宮に言うのである。竜女成仏は、法華経、提婆品、第十二に見える説話である。前世に行った善行によって罪障が軽い女は、今世に美女と生れると言う事である。と言うことを僧都は言っている。
明石中宮は僧都の話しから、僧都の言う三月頃に宇治で消えたしまったと言われる人を思っていた。明石中宮の御前にいるこの小宰相も、浮舟の姉中君の話で、不思議な状態で、浮舟は亡くなった人であるとは、聞いていたから、僧都の話しはその人であろうと、思うのではあるが、はっきりしたことではないし、また僧都も、仇敵のような、悪い人までも持っているような風に、思わせるように言って
「自分の身の上を隠して内密にしておりまするけれども、事情が不思議であるから、明石中宮に申しあげまする次第である」
と、申してなんとなく、人に隠す様子なので、小宰相も、自分の心だけに納めて誰にも語らない。明石中宮は、「いずれにしても、薫には浮舟が生きていることを言っておかねば」
と小宰相にだけは言っていたが、薫と浮舟のどちらに取っても、当然隠さねばならない事に対して、確実に浮舟であろうと、明石中宮はわからないままで、向いあうのも、女のことを言われて、妻にしている女二宮のこともあり、きまり悪そうに思う薫に、言出す事も、明石中宮は気恥ずかしくそのままになってしまったのであった。
女一宮は、御病気が全快したので、僧都も山に帰っていった。その途中で小野の尼庵に寄ると、妹尼が浮舟に兄の僧都が戒を与えたと、
「中途な若い身で、こんな尼になって、末まで行い澄ませなければ、却ってきっと罪障を得るに違いないのに、然るに、私に相談もしないで、浮舟が尼になってしまった事を、何としても、私は恨めしく思っております。兄様もまた、とんでもないことをなされました」
今更言っても甲斐がない。僧都は、
「今は、心を込めて、念仏や読経の御勤行をなされませ。老いも若きも定めがある世ではありません。定めないこの世を頼りない物として、宇治で悟りなされたのも、無理もない御身の上であるからねえ」
と浮舟に言われると、彼女は今でも入水のことが恥ずかしく思うのである。
「法衣を新しく御仕立てなされよ」
と、綾、羅、絹など必要な物を置いていった。
「拙僧が存命しておりまする間だけは、御身の御世話を、どんなことがあってもしてあげましょう。されば、何も心配はありませんよ。そこで何か解決できない思いがありますか。普通一般の世、生滅輪廻など考えない世界、に生れ出て世俗に交り世の中の栄耀栄華に執着してつきまとうている限りは、何としても尼などになって、大袈裟にこの世を捨てかねるように、誰も彼も思う者です。このような小野の林の中で勤行なされるような方は、どんな事をまあ、恨めしいとも恥ずかしいとも思われることでしょう。誰でも持っているようなこの寿命は、草木の葉の薄い物のようで、頼りないものである」
と浮舟に言い含めて、
「朝方になるので、松の木が門のように立っている所に、朝の月がさまようている」
と法師ではあるが、大層風情があるように吟誦し、また聞いていても奥ゆかしく気品ある状態で仰せなされる事などを、自分の思っていることを、私に言聞かせなされるなあと、浮舟は僧都の言葉を聞いていた。今日は一日中吹いている風の音も不安で心細いので
小野にいた僧都も、
「山に住まぬ僧は別であるが、山に臥して修行する僧、山伏は、こんな風の寂しく吹く日には、声をば立てて泣かずにはいられないと言う事なのであるなあ」
と言うのを聞いて、自分も今は山伏である。道理で、私にも止まらない涙であると、浮舟は思いつつ簀子の端の方に出て眺めると、 はるかに見える、尼庵の軒の端から狩衣姿の人達が,狩衣の違った色あいで、入り交って見られる。比叡山に登る人達でもこちら小野の道には、来る人も行く人も本当に稀である。西塔の北の黒谷とか言う方から歩いて下って来る法師の姿だけが
稀に見えるが、普通の俗人の狩衣姿を見つけた事は、言いようもなく浮舟には珍しいけれども、浮舟の靡かないのを恨んで、頼りなく寂しく思っていた、中将なのであった。「浮舟が出家した今、言うても効果のない恨み事でも言おう」と思って小野にやってきたのを、小野の紅葉が大変美しく、よその山の紅葉の紅より、一層多く染めた、美しい様々の色合に山が染まっているから
この小野に来る中将はなんとなく感慨深いものがあろう。この物静かな小野に、浮舟のように、つれない、しめっているような人ではなく、中将と相思うような人で陽気そうな女を見付けたならば、所がら調和しないので、異様に思われるであろう。などと中将は思い、
「勤めに暇が出来て、退屈しているので、紅葉はどうか、と思って参りました。妻が亡くなった今でもやっぱり、昔の気持に返って、ここに一泊してしまいそうな、紅葉の下ででも」
と言って庵の中にいて、紅葉を見ていた。それをきいていて妹尼は例によって涙もろく、泣きながら、
木がらしの吹きにし山の麓には
立ち隠るべき蔭だにぞなき (木枯の風が紅葉を吹散らしまたあの女も出家してしまった山の麓には、木の葉が無いので、御泊りなされる事の出来る、せめてもの木蔭も、どうもありませぬ)
中将は、
待つ人もあらじと思ふ山里の
梢を見つつなほぞ過ぎうき
(現在は、私が思を懸けた女も出家し、私を待っている人もあるはずがないと思う、それでもこの小野の山里の紅葉した梢を見ながら、私はやっぱり通り過ぎるのがつらい)
今更何を言ってもどうす事も出来ないことを、未練らしく中将は少将尼に言って、
と、何かとよく話す僧都なので、このように話し続けると、小宰相が、
「どうして、そんな恐ろしい所に、美しい人を、変化の物はさらって行ったのであったのであろうか、たといそう何人か素姓不明であったとしても、現在では、その素姓は知られてしまったであろう」
と僧都に問いかける。
「素姓が知られたか否かは存じませぬ。けれども、素姓を知られてしまうように、妹尼などに語っているでござりましょう。本当に身分の高い人であるならば、素姓の知られない事はないとおもいます。世に隠れて人に知られない事はござりますまいからなあ。田舎の娘でも、そのような美しい者はいます。田舎娘も竜の中から仏が誕生なさらないならば、いかにも醜い者もござろう。然し、竜女成仏と言って、竜の中からも仏が誕生なされる。この女は身分のない平人としては、前世の罪障が軽い人で、あるようです」
明石中宮に言うのである。竜女成仏は、法華経、提婆品、第十二に見える説話である。前世に行った善行によって罪障が軽い女は、今世に美女と生れると言う事である。と言うことを僧都は言っている。
明石中宮は僧都の話しから、僧都の言う三月頃に宇治で消えたしまったと言われる人を思っていた。明石中宮の御前にいるこの小宰相も、浮舟の姉中君の話で、不思議な状態で、浮舟は亡くなった人であるとは、聞いていたから、僧都の話しはその人であろうと、思うのではあるが、はっきりしたことではないし、また僧都も、仇敵のような、悪い人までも持っているような風に、思わせるように言って
「自分の身の上を隠して内密にしておりまするけれども、事情が不思議であるから、明石中宮に申しあげまする次第である」
と、申してなんとなく、人に隠す様子なので、小宰相も、自分の心だけに納めて誰にも語らない。明石中宮は、「いずれにしても、薫には浮舟が生きていることを言っておかねば」
と小宰相にだけは言っていたが、薫と浮舟のどちらに取っても、当然隠さねばならない事に対して、確実に浮舟であろうと、明石中宮はわからないままで、向いあうのも、女のことを言われて、妻にしている女二宮のこともあり、きまり悪そうに思う薫に、言出す事も、明石中宮は気恥ずかしくそのままになってしまったのであった。
女一宮は、御病気が全快したので、僧都も山に帰っていった。その途中で小野の尼庵に寄ると、妹尼が浮舟に兄の僧都が戒を与えたと、
「中途な若い身で、こんな尼になって、末まで行い澄ませなければ、却ってきっと罪障を得るに違いないのに、然るに、私に相談もしないで、浮舟が尼になってしまった事を、何としても、私は恨めしく思っております。兄様もまた、とんでもないことをなされました」
今更言っても甲斐がない。僧都は、
「今は、心を込めて、念仏や読経の御勤行をなされませ。老いも若きも定めがある世ではありません。定めないこの世を頼りない物として、宇治で悟りなされたのも、無理もない御身の上であるからねえ」
と浮舟に言われると、彼女は今でも入水のことが恥ずかしく思うのである。
「法衣を新しく御仕立てなされよ」
と、綾、羅、絹など必要な物を置いていった。
「拙僧が存命しておりまする間だけは、御身の御世話を、どんなことがあってもしてあげましょう。されば、何も心配はありませんよ。そこで何か解決できない思いがありますか。普通一般の世、生滅輪廻など考えない世界、に生れ出て世俗に交り世の中の栄耀栄華に執着してつきまとうている限りは、何としても尼などになって、大袈裟にこの世を捨てかねるように、誰も彼も思う者です。このような小野の林の中で勤行なされるような方は、どんな事をまあ、恨めしいとも恥ずかしいとも思われることでしょう。誰でも持っているようなこの寿命は、草木の葉の薄い物のようで、頼りないものである」
と浮舟に言い含めて、
「朝方になるので、松の木が門のように立っている所に、朝の月がさまようている」
と法師ではあるが、大層風情があるように吟誦し、また聞いていても奥ゆかしく気品ある状態で仰せなされる事などを、自分の思っていることを、私に言聞かせなされるなあと、浮舟は僧都の言葉を聞いていた。今日は一日中吹いている風の音も不安で心細いので
小野にいた僧都も、
「山に住まぬ僧は別であるが、山に臥して修行する僧、山伏は、こんな風の寂しく吹く日には、声をば立てて泣かずにはいられないと言う事なのであるなあ」
と言うのを聞いて、自分も今は山伏である。道理で、私にも止まらない涙であると、浮舟は思いつつ簀子の端の方に出て眺めると、 はるかに見える、尼庵の軒の端から狩衣姿の人達が,狩衣の違った色あいで、入り交って見られる。比叡山に登る人達でもこちら小野の道には、来る人も行く人も本当に稀である。西塔の北の黒谷とか言う方から歩いて下って来る法師の姿だけが
稀に見えるが、普通の俗人の狩衣姿を見つけた事は、言いようもなく浮舟には珍しいけれども、浮舟の靡かないのを恨んで、頼りなく寂しく思っていた、中将なのであった。「浮舟が出家した今、言うても効果のない恨み事でも言おう」と思って小野にやってきたのを、小野の紅葉が大変美しく、よその山の紅葉の紅より、一層多く染めた、美しい様々の色合に山が染まっているから
この小野に来る中将はなんとなく感慨深いものがあろう。この物静かな小野に、浮舟のように、つれない、しめっているような人ではなく、中将と相思うような人で陽気そうな女を見付けたならば、所がら調和しないので、異様に思われるであろう。などと中将は思い、
「勤めに暇が出来て、退屈しているので、紅葉はどうか、と思って参りました。妻が亡くなった今でもやっぱり、昔の気持に返って、ここに一泊してしまいそうな、紅葉の下ででも」
と言って庵の中にいて、紅葉を見ていた。それをきいていて妹尼は例によって涙もろく、泣きながら、
木がらしの吹きにし山の麓には
立ち隠るべき蔭だにぞなき (木枯の風が紅葉を吹散らしまたあの女も出家してしまった山の麓には、木の葉が無いので、御泊りなされる事の出来る、せめてもの木蔭も、どうもありませぬ)
中将は、
待つ人もあらじと思ふ山里の
梢を見つつなほぞ過ぎうき
(現在は、私が思を懸けた女も出家し、私を待っている人もあるはずがないと思う、それでもこの小野の山里の紅葉した梢を見ながら、私はやっぱり通り過ぎるのがつらい)
今更何を言ってもどうす事も出来ないことを、未練らしく中将は少将尼に言って、
作品名:私の読む「源氏物語」ー86-手習3-3 作家名:陽高慈雨