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私の読む「源氏物語」ー23-澪標

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なければ、「見る人もなくて散りぬる奥山の紅葉は闇の夜の錦なりけり」(誉める人もなく散ってしまう奥山の紅葉は、錦の衣装を纏って夜行くようなもので、なんの甲斐もないものだ)という古今集の紀貫之の歌のように、しまりのないもので終わってしまったことであった。源氏から送られた乳母も明石の君が理想的な女なので話をする内にうち解けてきて都離れた生活を淋しいとも思わずに過ごすことが出来た。この乳母にさして劣らない女房何人かを一緒に付けて源氏は明石に送ったのであるが、乳母同様に宮仕えをしていた女が里に帰った者をから選んだが、この人達は世捨て人のような気持ちになっていたのであるが、この乳母だけは気品も高く心に誇りを持っていた。
 宣旨の乳母は明石の君に都における源氏の立場を聞かせるところはきっちりと語り、いかに世の中から頼りにされている大臣であるか、女の目から見た源氏を全て語って聞かせた。聞いて明石の君は納得したようで、宣旨の乳母も明石の君とともに文を見ながら、
「ああこのようにこの女は幸運の持ち主なのだ。不幸なのは私の方」
 と思うが、
「宣旨の乳母はどのようにしているか、元気なのか」と源氏が細かく気を遣っているのを知ると、乳母はこの上なく幸せになり心が慰まれるのであった。
 明石の君は早速返歌をしたためる、

 数ならぬみ島隠れに鳴く鶴を
  今日もいかにと問ふ人ぞなき
(人数に入らないわたしのもとで育つわが子を今日の五十日の祝いはどうしているかと尋ねてくれる人は他にいません)
 
いろいろと将来のことを考えておりますと物思いに沈んでしまいます。このようなときに源氏様からのお便りは心強く、時々あるお慰めに私は毎日を掛けております、わたしの命も心細く思われます。色々と仰せられることに従って、私を安心させていただきたいものです」
 と、心からお頼み申し上げた

 源氏は明石の君から送られてきた文を「色々と気を遣って可哀想に」と長い独り言を言うのを、紫は側でそんな源氏を目の隅に置いたままで、
「み熊野の浦よりをちに漕ぐ船の我をばよそに隔てつるかな」古今六帖の第二句、三句を口ずさんで、
「浦よりをちに漕ぐ舟の」
 ひっそりとそれでも源氏に聞こえるように独り言を言う。本心は、第五句の「我をばよそに隔てつるかな」にあるのであるが。そこまでは口に出さず源氏をじっと眺めている。その姿を見て源氏は、
「ほんとうに、こんなにまで邪推なさるのですね。これは、ただ、これだけのことですよ。明石の様子などをふと想像する時に、昔かの地で過ごしたことが忘れられないで漏らす独り言を、よくお聞ききですね」
 と言って手紙の表紙だけを紫に見せる。明石の君の筆跡などがとても立派で、都の高貴な方も引け目を感じそうなので、源氏は
「これだから紫は僻むのであろう」
 と思うのであった。

 前段で述べたように源氏は紫の機嫌をとっている内に花散里を尋ねることが出来なくなってしまい、彼女を思うと愛おしくてたまらなかった。その上政務の方も忙しく自分の体が自由にならないほど膨大な量である。自分が何かをしょうとすることが出来ないと思う間は源氏は静かに日を送っていた。
 五月雨がしとしとと降り続くころ、政務も一段落して源氏は自分の時間を取り戻したおりに、花散里を尋ねることにした。それまでは自分は行くことなく使者を送って色々と花散里の面倒を見てきた。そんなことでこの女は源氏に今風の娘のように訪れがないのを恨んだりはしないので、割合に気安い気持ちで訪問することが出来た。しかし年が進むほどこの屋敷は荒れてきていて、こんなのは見たことがない源氏にはすさまじい光景であった。
 娘の姉、麗景院女御に挨拶方々つもる話をして、源氏は西の対の花散里の部屋に夜も更けてから入っていった。朧に光る月の中で女は久しぶりの源氏との逢瀬に上気しながら体一杯に男を待ちわびた様子をあらわにしていた。月の光が朧なのでぼんやりと見える花散里の艶やかな姿に見とれていた。花散里もやっとの事で逢うことの出来た源氏の姿がかすかではあるがとてもまぶしく感じて顔を上げるのも辛いのであるがそこは我慢してゆっくりと源氏の顔を見ていた。そのゆったりとした女の動きが源氏の男の気持ちを誘う。ああその感じ、源氏は我を忘れて女を腕の中に抱きしめた。庭で水鳥が鳴いた、源氏は体をびくっとした、抱かれたままで女は

 水鶏だにおどろかさずはいかにして
    荒れたる宿に月を入れまし
(せめて水鶏だけでも戸を叩いて知らせてくれなかったら、どのようにしてこの荒れた邸に月の光を迎え入れることができたでしょうか)
 と耳元で源氏の体を懐かしみそっと囁くように詠った。そのなかには長く逢えなかった恨みをそっと入れていた。
 源氏は女の吐息を感じながら、
「この感じがどの女とも切れにくくする。しかしこの女とは大変な交際になるな」
 女を抱きながら思っていた。そこで、

 おしなべてたたく水鶏に
      おどろかば
   うはの空なる月もこそ入れ
(どの家の戸でも叩く水鶏の音に見境なしに戸を開けたら、わたし以外の月の光が入って来たら大変だ) 
 心配ですねと耳元で返歌をする。何となく女が浮気をするのではないかと、言葉ににじませて言うが自分はまったくそのような気持ちはなかった。事実花散里はそのような軽い心の女ではなかった。長年源氏の都帰りを待ち続けてきた女の気持ちが、源氏には疎かに出来なかった。「行きめぐりつひにすむべき月影のしばし雲らむ空な眺めそ」と都を去るときに花散里に贈った歌を思いだして花散里は源氏に抱かれたままで、
「どうしてあのお別れの時に、このような辛さはこの世にはないと思ったのでしょうか。こうしてお戻りになってもお逢い出来ない辛さとあまり変わりがありませんのにね」
 おっとりと可愛らしく源氏に囁く。そのまま二人はあらゆる愛の言葉をかわしあいながら尽きぬ愛をお互いに体で確かめ合い慰め合った。

 源氏は花散里を訪問してつい五節のことを思いだしていた。「会いに行かなければ」と気になったけれども、五節に逢うのはなかなか難しくて思っただけで忍んでは行かれなかった。
 五節は色々と考えることが多く悩んでいるのを見かねて、親は結婚を勧めるのであるが、この子は普通の結婚はとうてい出来まいとあきらめていた。
 源氏は気兼ねのいらない屋敷を造って、
「親しい女どもを集めて、思うざまに自分と関係を結び、もし思い通りにかわいがることのできそうな子が出来たら、私が後見となって」
 と思っていた。
 かねてから計画していた東院の工事も始まり、現代風な建築になった。受領達の中から色々と特殊な技術を持っている者を集めてそれぞれ分担させて設計工事をさせた。 源氏は朧月夜の尚侍をまだ忘れることが出来ず、また逢いたいと思うのであるが、女の方が源氏となかなか逢えない苦しみに懲りてしまって昔のように源氏の要求に応えることをしなかった。源氏はそんなにまでして窮屈な思いをしなくてもと思うのであるが。