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私の読む「源氏物語」ー22-

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 位を冷泉帝に譲って朱雀院となった前帝は公務から離れて気が楽になりのんびりと過ごしていた。管弦の催しを折りにつけては声を掛けて人を集め開いていた。内裏で側に仕えていた女御、更衣達は同じように院の傍らに奉仕しているが、春宮の母である承香殿女御だけは取り立てて目立つこともなく院のお気に入りの朧月夜尚侍の影に隠れてしまっていたのであるが、この度子供が春宮に決まったため立派な立場になり春宮と共に東宮に住まっていた。 
 内大臣になった源氏の宮中での住居は昔からの淑景舎のままであった。梨壺に春宮は住んでいるので源氏とは隣り合わせになる、そのため何かと相談事に源氏はのっているので自然と春宮の後見役のようになっていた。
 冷泉帝の母である藤壺は本来であれば藤壺皇太后になるのだが、出家の身なのでそうならず、太上天皇に准じて御封を賜る待遇を受けた。それは一条天皇の母后藤原詮子が東三条院と呼ばれ、女院となった例に習ったのであった。
 朱雀院で働く院司が任命されて源氏は院の仕事にかかる仏事や事務が毎日のことになった。ここ数年間は源氏は自分の行動を恥じ入って宮中に参内することがなかったのであるが、朱雀院も源氏に逢えないことが悲しくて思っていたのであるが、ここのところ毎日源氏が参内しては顔を合わせることが出来るので朱雀院も晴れ晴れしている。その姿を見て院の母である弘徽殿大后は「世の中が変わっていくのは嫌なことであるよ」と嫌いな源氏が毎日登院するのを嘆いていた。
 源氏内大臣は何かにつけて弘徽殿に優しく真心を持って接しているのであるが、弘徽殿の昔の仕打ちを知っている人達はそこまでしなくとも、と噂をしていた。

 源氏の北の方に納まった紫の上の父である兵部卿親王は源氏がここ何年か受けた辛い毎日をあまり気の毒にとは思わずに、ただ世間体だけを気にしていたことを源氏は良く思っていなかった。それで須磨から帰京してからは、昔のように気安く交際をするようなことはなかった。

 源氏はそれぞれ昔からの知り人新たに親しくなった人その他の人達には変わりなく接していたが、兵部卿親王だけには少し引いて交際していた。藤壺はそんな兄と源氏の間を心配して、困ったことだと心配をしていた。
 政道のことは源氏の岳父である太政大臣と内大臣の源氏が分けて行ってきていた。
もと頭中将で現在権中納言の娘が八月に冷泉帝後宮として入内した。源氏が葵を娶った頃は左大臣家、いまは太政大臣家。一般臣家の第一の実力者が孫娘を後宮に入内させたことになる。太政大臣が采配を振るって入内の儀式が盛大に行われた、太政大臣はこのときに孫娘を養女として儀式に臨ませたのであった。
 兵部卿親王の娘中の君も入内したい気持ちであったのであるが、源氏は帝の后としてはいかがな者であろうかと、取り上げにならなかった。
 紫の上の姉妹に当たる者を源氏の考えで入内させなかったことは物語がこの後どういう展開していくのであろう。

 この年の秋に源氏は住吉に参拝した。願い事を果たすために参拝するのであるから内大臣源氏大将としての行列を立派に組んでの道行きである、世間を揺るがすほどの大行事である。公卿を始め殿上人全てが我も我もと参加した。
 丁度そのとき明石の君も毎年参拝していたのであるが、去年今年と女の障りで詣ることが出来なかったのであるが、その詫びをかねての参拝を計画していた。
 明石の君は舟で住吉の浜に到着した。みると岸では大勢の人が喧しく声を上げて参拝しているではないか、渚にまでその行列は続きそれぞれ立派お供えを持っていた。
雅楽寮の音楽官人が楽人舞人を率いて唐楽・高麗楽を奏し、左右の近衛府が十列の御馬を並べて供奉していた。供奉している男達は選ばれた人達ばかりらしく容姿が優れていた。
「何方がお参りになっておられるのですか」」
 明石の従者が聞いてみた。
「内大臣が結願でお参りになっておられるのを、知らない人もいるものだ」
 下品な者で最低の男であったが、さも自分は内大臣の従者だと得意げにこたえた。
 明石はそのことを聞いて、
「本当に何という日にお参りすることになったことよ、なまじ及びもつかぬ源氏様のご威勢を遠くからみるにつけ、あの方の子までなしたわが身の上が情けなく思われる。私はあの方から離れることは出来ないみのうえである、それでもこのような下っ端の者までが源氏の家来だと言って得意になってお勤めしているというのに、子供までなした私が何も知らないで同じ日にお参りにきたもんだ」
 とあまりの悲しさにうなだれて涙を流していた。

 舟の中から明石の君は源氏の参拝集団を眺めていた。四位は深緋(朱色)、五位は浅緋、六位は深緑、七位は浅緑、八位は深縹(薄藍)、初位は薄縹と定められた袍衣を着た人が右に左に動くのが丁度深緑の松原の中に紅葉が混じっているように見えまた他の色も混じって数知れない人が動いている。この六位なかでも蔵人の「青色」は天皇から拝領した麹塵(青みがかった黄色)の袍であるから見分けがはっきりとつく、その中に源氏が都を離れる決意をして、父桐壺院の墓に別れの挨拶に向かう途中で下賀茂社が見えるところに差しかかった折りに、馬を止めて、
「ひき連れて葵かざししそのかみを
      思へばつらし賀茂の瑞垣」 と賀茂の神に向かって恨みを詠った右近将監が混じっていた。彼は今は靭負と呼ば.れ「靭負尉」(衛門府の三等官)に昇進していた。家来を連れたれっきとした蔵人である。
 源氏に明石の君を紹介した良清も同じように衛門佐(次官、従五位上相当)になった。あまり物事を深く考えないたちで、美しい緋色の五位の袍衣がけばけばしいが清らかである。
 明石に源氏に従って来ていた人達も、あのときとは違って華やかな装束をまとって、何の苦しみもないように動いている中に、若い公卿や殿上人が我こそはと馬や鞍まで磨き上げているのは、田舎者の明石の一行にもさすがなものと思われた。
 源氏の車が遙かに見えるが、明石の君は自分が源氏に無視されていると見ようともしなかった。源氏の周りには童随身が何人か従っていて可愛らしい装束にみづらに結った髪型にに紫の上はうすく下にいくほど濃い元結いを綺麗に締め付けた十人が背丈も揃って従っているのがとても今めかしくて綺麗に見えた。
 左大臣家の葵の上が産んだ夕霧が多くの従者を従えて、馬の横にいる童随身、その他の者達も綺麗にそれぞれ個性のある衣装を着込んでいた。
 それらが明石の君の目に入ってくると、高貴の家の若君達がそれぞれ着飾って戯れ合っているのが、自分も源氏の子供を得ているのに何という違いであろうと、住吉の社に向かって更に深々と頭を下げて子供の将来を祈るのであった。
 社のある国の司が源氏一行の接待の宴の準備をしている。普通の大臣とは比べものにならないほどの盛大なものであった。 
 明石の君はこれ以上源氏の一行を見ているのが辛くなって、
「あの中に入って僅かばかりの供え物をしても神は願いを聞き届けてはくれまい。明石に戻るには中途半端な時間だし、このまま難波の港に舟を付けて一泊しよう。そうして私たちでお祓いをしよう」
 と難波を差して船を進めていった。