私の読む「源氏物語」ー17-
花散里
源氏の心は誰にも分からないのは当然のことである。彼は自分から女を求めてどうすれば成功するか、文はどう書けば女はなびいてくるかという恋というものに酔っているのかか、女の肉体を求めるという男の欲望か、そんなもやもやとしたことが彼の頭の中から去ることがない。しかし彼の女遊びがこのように世間一般に知れてきて、朧月夜のことをはじめとして女のことで面倒な悩みばかりが増えてゆくので、何となく心細くなっりこの世の中がうっとうしく、もう女のことは考えまいとするが、そう簡単にすっぱりと割り切れるものでないのが男女の仲というものである。
源氏の亡き父桐壺院に側室麗景殿女御という人がいた。この女御には子供がなく、主人の院が亡くなった後、淋しい生活を余儀なくされたのを、なんとか源氏大将の心づかいに庇護されて過ごしていた。
麗景殿女御は妹の三の君と淋しく暮らしていた。前巻で少し紹介した右大臣の娘で頭弁の姉の麗景殿は朱雀帝の女御であるのでここで話題としている麗景殿とは別人である。
源氏は宮中で三の君とちょっと逢ったことがあったので、女のことは忘れない性格なので、あれから大分日数がたっていても忘れてはいないが、その後熱心に通い続けて言い寄られることもしなかったので、女君が思いを寄せる源氏に見限られたものとすっかり悩んでいる。源氏はこの三の君のことではなく世の中全体を無常と感じて悩んでいる、そんなときに以前に少しだけ接触したことがあった三の君を思い出し、すると源氏のことである逢いたい気持ちを抑えきれなくて、五月雨の空が珍しく晴れた時を見計らって逢いに出かけていった。。
源氏は隠れて女の所に出かけるのであるから、位にふさわしい行列を組むことなくごく自然にひっそりとした列で前駆などもなく、本当の忍びで、貴族の別荘が多い辺り京極川の北になる中川を通り過ぎると、小さな家で、庭に木立など植え込みがなんとなく風情があって、そして屋敷からは良い音色の箏の琴と和琴を東の調べに合わせて調音して、短い曲をきれいに弾いているのが聞こえてきた。
源氏はその音色に耳をとめて、車がその家の門に近い所であったので車を止めさして、車から少し体を乗り出してその家を覗き込んだ。大きな桂の木が風に吹かれて枝をふるわせている、その風に乗って匂ってくる香りに、源氏は葵祭を思い出し、その頃に、「一度来たことのある家だ」と見ていた。すると男の欲望が騒ぎ出して、「ずいぶ前のことだなあ、あの女がはっきりと覚えているかどうか」と、いまさら逢ってもと気が引けたが、通り過ぎることもできず、ためらっている。ちょうどその時、頭の上をほととぎすが鳴いて飛んで行った。その鳴き声は源氏にこの家を訪問せよと促しているようなので、車を少し戻して、いつもこのような使いは惟光と、彼を呼ぶ。
をちかへりえぞ忍ばれぬ
ほととぎす
ほの語らひし宿の垣根に
(昔にたちかえって懐かしく思わずにはいられないほととぎすの声だ、かつてわずかに契りを交わしたこの家なので)
小さい屋敷であるが寝殿と思われる家屋の西の角にこの家の女房たちが集まっていた。惟光は以前に源氏の供でこの家に訪れた時にも聞いた声なので、咳払いをして相手を自分に向けてから、源氏の歌を伝えた。中には惟光を知らない若い女房たちがいて、源氏の言づてを持ってきた惟光を不審に思っているようである。
ほととぎす言問ふ声はそれなれど
あなおぼつかな五月雨の空
(ほととぎすの声ははっきり分かります、しかし、どのようなご用か分かりません、どんよりとした五月雨の空のように)
この女はわざと分からないというふりをしていると惟光は見てとったので、
「そうですか。花散りし庭の木の葉も茂りあひて植ゑし垣根も見こそわかれね」
と詠い、垣根が見分けられずに家を間違えたのかと言う意味を込めて、引き下がって出て行くのを、女は内心では悔まれ感慨も深い、その後に新しい男が通ってくるように担ったが源氏への気持ちも捨てていない、恨めしくも悲しくも思うのであった。
源氏は惟光から事情を聞くと、
「そのように、遠慮しなければならない事情があるのであろう。それはまことに道理でもある、新しい男が通う家にこちらから押し掛けていくことは出来まい。この女と同じほどの階級の女としては一度関係をした後で九州に行った五節の舞姫が可憐であった」
と、すぐに他の関係した女を思い出した。
どのような女性でも一旦関係をしたなら何かの機会に思い出して気ずかってしまうという、源氏は長い年月が過ぎても、このように、かつて契ったことのある女性にはそのときの気持ちが忘れることなく思い出し、文を遣ったり生活の援助をしたりしているので、その彼の優しさと気の使いようがかえって、おおぜい関係した女達が源氏を忘れることが出来ない原因のようであった。
源氏が目的としている麗景殿女御三の君の住まいは、自分で想像していた以上に、人影もなく、ひっそりと暮らしているようだ。この様子を眺めって、源氏は麗景殿と妹の生活が本当に気の毒でたまらなく思っていた。いきなり三の君に逢うわけにもいかないのでまずは、麗景殿女御のお部屋で挨拶をして少しばかり昔話などをと彼女と話している内に何かと思い出話が多くて、夜も更けてしまった。
二十日の月は夜半前に差し昇る、木高い木の蔭が一面に暗く見えて、近くにある橘の木から薫りがやさしく匂ってくる。女御の様子を源氏が見ると、お年を召しているが、どこまでも深い心づかいがあり気品もあって庇ってあげたいほど愛らしい。
「格別目立つような御寵愛こそなかったが、仲睦まじく親しみの持てる方とお思いでいらしたなあ」
などと、亡き父と麗景殿との仲を思い出し、そのことをいろいろと話をするとさらに昔のことが次から次へと思い出されて遂に涙が出てしまった。
先ほど道中で聴いたほととぎすが、同じ声で鳴く。「自分の後を追って来たのだな」と源氏が思うのも、気持ちの優しさからか。
「いにしへのこと語らへば郭公いかに知りてか古声のする」と古今六帖にある歌を、小声で口ずさむ。
橘の香をなつかしみほととぎす
花散る里をたづねてぞとふ
(昔を思い出させる橘の香を懐かしく思って、
ほととぎすが花の散ったこのお邸にやって来ました)
昔のことを思い出されて淋しく思ったときにはこちらに参ってお話しをして私自身を慰めていただくのでした。やはりもう少し早くに参上いたすべきでした。お話しをしているうちに私もこの上なく、気持ちが紛れることもあり、また過ぎたことを思い出して悲しくなることもございました。人は時の流れには逆らえないものですから、昔話を共に語り合える人次第に少なくなって参りました。そのようなことは貴女はわたし以上に、紛らすことも出来ないでお困りでしたでしょう」
源氏は麗景女御にしみじみと話をすると、世の中は言うまでもないほどに変わってしまい、彼女がそのことをしみじみと思い続けている様子が一通りでないというのも、昔の彼女を知っている源氏には、ひとし哀れに見えるのであった。
人目なく荒れたる宿は橘の
花こそ軒のつまとなりけれ
源氏の心は誰にも分からないのは当然のことである。彼は自分から女を求めてどうすれば成功するか、文はどう書けば女はなびいてくるかという恋というものに酔っているのかか、女の肉体を求めるという男の欲望か、そんなもやもやとしたことが彼の頭の中から去ることがない。しかし彼の女遊びがこのように世間一般に知れてきて、朧月夜のことをはじめとして女のことで面倒な悩みばかりが増えてゆくので、何となく心細くなっりこの世の中がうっとうしく、もう女のことは考えまいとするが、そう簡単にすっぱりと割り切れるものでないのが男女の仲というものである。
源氏の亡き父桐壺院に側室麗景殿女御という人がいた。この女御には子供がなく、主人の院が亡くなった後、淋しい生活を余儀なくされたのを、なんとか源氏大将の心づかいに庇護されて過ごしていた。
麗景殿女御は妹の三の君と淋しく暮らしていた。前巻で少し紹介した右大臣の娘で頭弁の姉の麗景殿は朱雀帝の女御であるのでここで話題としている麗景殿とは別人である。
源氏は宮中で三の君とちょっと逢ったことがあったので、女のことは忘れない性格なので、あれから大分日数がたっていても忘れてはいないが、その後熱心に通い続けて言い寄られることもしなかったので、女君が思いを寄せる源氏に見限られたものとすっかり悩んでいる。源氏はこの三の君のことではなく世の中全体を無常と感じて悩んでいる、そんなときに以前に少しだけ接触したことがあった三の君を思い出し、すると源氏のことである逢いたい気持ちを抑えきれなくて、五月雨の空が珍しく晴れた時を見計らって逢いに出かけていった。。
源氏は隠れて女の所に出かけるのであるから、位にふさわしい行列を組むことなくごく自然にひっそりとした列で前駆などもなく、本当の忍びで、貴族の別荘が多い辺り京極川の北になる中川を通り過ぎると、小さな家で、庭に木立など植え込みがなんとなく風情があって、そして屋敷からは良い音色の箏の琴と和琴を東の調べに合わせて調音して、短い曲をきれいに弾いているのが聞こえてきた。
源氏はその音色に耳をとめて、車がその家の門に近い所であったので車を止めさして、車から少し体を乗り出してその家を覗き込んだ。大きな桂の木が風に吹かれて枝をふるわせている、その風に乗って匂ってくる香りに、源氏は葵祭を思い出し、その頃に、「一度来たことのある家だ」と見ていた。すると男の欲望が騒ぎ出して、「ずいぶ前のことだなあ、あの女がはっきりと覚えているかどうか」と、いまさら逢ってもと気が引けたが、通り過ぎることもできず、ためらっている。ちょうどその時、頭の上をほととぎすが鳴いて飛んで行った。その鳴き声は源氏にこの家を訪問せよと促しているようなので、車を少し戻して、いつもこのような使いは惟光と、彼を呼ぶ。
をちかへりえぞ忍ばれぬ
ほととぎす
ほの語らひし宿の垣根に
(昔にたちかえって懐かしく思わずにはいられないほととぎすの声だ、かつてわずかに契りを交わしたこの家なので)
小さい屋敷であるが寝殿と思われる家屋の西の角にこの家の女房たちが集まっていた。惟光は以前に源氏の供でこの家に訪れた時にも聞いた声なので、咳払いをして相手を自分に向けてから、源氏の歌を伝えた。中には惟光を知らない若い女房たちがいて、源氏の言づてを持ってきた惟光を不審に思っているようである。
ほととぎす言問ふ声はそれなれど
あなおぼつかな五月雨の空
(ほととぎすの声ははっきり分かります、しかし、どのようなご用か分かりません、どんよりとした五月雨の空のように)
この女はわざと分からないというふりをしていると惟光は見てとったので、
「そうですか。花散りし庭の木の葉も茂りあひて植ゑし垣根も見こそわかれね」
と詠い、垣根が見分けられずに家を間違えたのかと言う意味を込めて、引き下がって出て行くのを、女は内心では悔まれ感慨も深い、その後に新しい男が通ってくるように担ったが源氏への気持ちも捨てていない、恨めしくも悲しくも思うのであった。
源氏は惟光から事情を聞くと、
「そのように、遠慮しなければならない事情があるのであろう。それはまことに道理でもある、新しい男が通う家にこちらから押し掛けていくことは出来まい。この女と同じほどの階級の女としては一度関係をした後で九州に行った五節の舞姫が可憐であった」
と、すぐに他の関係した女を思い出した。
どのような女性でも一旦関係をしたなら何かの機会に思い出して気ずかってしまうという、源氏は長い年月が過ぎても、このように、かつて契ったことのある女性にはそのときの気持ちが忘れることなく思い出し、文を遣ったり生活の援助をしたりしているので、その彼の優しさと気の使いようがかえって、おおぜい関係した女達が源氏を忘れることが出来ない原因のようであった。
源氏が目的としている麗景殿女御三の君の住まいは、自分で想像していた以上に、人影もなく、ひっそりと暮らしているようだ。この様子を眺めって、源氏は麗景殿と妹の生活が本当に気の毒でたまらなく思っていた。いきなり三の君に逢うわけにもいかないのでまずは、麗景殿女御のお部屋で挨拶をして少しばかり昔話などをと彼女と話している内に何かと思い出話が多くて、夜も更けてしまった。
二十日の月は夜半前に差し昇る、木高い木の蔭が一面に暗く見えて、近くにある橘の木から薫りがやさしく匂ってくる。女御の様子を源氏が見ると、お年を召しているが、どこまでも深い心づかいがあり気品もあって庇ってあげたいほど愛らしい。
「格別目立つような御寵愛こそなかったが、仲睦まじく親しみの持てる方とお思いでいらしたなあ」
などと、亡き父と麗景殿との仲を思い出し、そのことをいろいろと話をするとさらに昔のことが次から次へと思い出されて遂に涙が出てしまった。
先ほど道中で聴いたほととぎすが、同じ声で鳴く。「自分の後を追って来たのだな」と源氏が思うのも、気持ちの優しさからか。
「いにしへのこと語らへば郭公いかに知りてか古声のする」と古今六帖にある歌を、小声で口ずさむ。
橘の香をなつかしみほととぎす
花散る里をたづねてぞとふ
(昔を思い出させる橘の香を懐かしく思って、
ほととぎすが花の散ったこのお邸にやって来ました)
昔のことを思い出されて淋しく思ったときにはこちらに参ってお話しをして私自身を慰めていただくのでした。やはりもう少し早くに参上いたすべきでした。お話しをしているうちに私もこの上なく、気持ちが紛れることもあり、また過ぎたことを思い出して悲しくなることもございました。人は時の流れには逆らえないものですから、昔話を共に語り合える人次第に少なくなって参りました。そのようなことは貴女はわたし以上に、紛らすことも出来ないでお困りでしたでしょう」
源氏は麗景女御にしみじみと話をすると、世の中は言うまでもないほどに変わってしまい、彼女がそのことをしみじみと思い続けている様子が一通りでないというのも、昔の彼女を知っている源氏には、ひとし哀れに見えるのであった。
人目なく荒れたる宿は橘の
花こそ軒のつまとなりけれ
作品名:私の読む「源氏物語」ー17- 作家名:陽高慈雨