私の読む「源氏物語」 ー8-
若 紫
源氏は十八歳になった。春三月頃から、隔日または毎日一定時間に発熱する病で病瘧という奇妙な病にかかり、心配した付き人達が手分けして、都の内外のお寺や社に参り加持祈祷を願ってきた。しかし一向にその効果が現れない。一日に何度となく発作が起こり回数の間隔も狭くなってきた。ある人が見舞いに来て、
「北山にある某寺に、すぐれた行者が住まいしております。去年の夏も病瘧が世間に流行して、人々がいくら加持祈祷をしても一向に治まりません。もう諦めていたところへ、その行者が修法に優れているということを聞き山にはいって頼みましたところ、たちどころに治った。そのような例が、多数ございました。こじらせてしまうと厄介でございますから、源氏様も早くお試しあそばすとよいでしょう」
と告げたものだから、家来の一人を山に遣わしてこの修験者を呼び寄せた。が使いに出た者が帰ってきて言うのには、
「歳をとり体も不自由ですから、外にはよう出ません」
と返事をする。源氏はそれを聞いて
「そういうことならば、こちらから忍びで出向こう」
と、供に親しい者四、五人ほど連れて、まだ夜明け前というのに山に出かけた。
その修験者がいる山寺は、すこし山深く入ったところにあった。三月ももう終わり頃であるので都の桜はもうすでに散ってしまっていたが、山の桜はちょうど満開の時期で、山を奥に登って行くにつれて、桜霞のかかった景色がとても趣深く見えるので、このような山奥に来ることもない源氏には、見るもの全てが珍しく思われた。
到着した目的の修験者が居る寺は、小さいながらも趣あるひっそりと建っていた。そこは峰高い山でその中腹に巌谷があり修法者はその中で住まいをしていた。 源氏はそこまで登って行き、自分の身分を明かすことなく修験者に向かうのであったが、病で大変にやつれている姿であったが、そこはやはり身分から際だっているので、一目源氏を見て修験者は、
「ああ、これはこれは恐れ多いことです。先日、私をお召しになった方でいらっしゃいましょう。申し訳ありません、今は、世捨て人となりまして現世のことや修験の方法を忘れておりますのに、このようにわざわざお越しあそばしたのでしょうか」
と、修験者は驚き慌てて、それでも微笑みを持って源氏に話しかける。この人物はまことに立派な大徳なのであった。世捨て人で修法も忘れたとは言っていたが、しかるべき薬を作って、源氏に呑ませ、加持などをしているうちに、昼近くなった。
源氏は少し外に出てそこらを眺めてみると、今いるところが高い所なので、山のあちこちに、僧坊建っているのがはっきりと見下ろされる、ちょうど今彼が立っているつづら折の道の下に、小柴垣であるが、きちんとめぐらして、こざっぱりとした建物に、回廊などを巡らして、木立がとても風情あるのが見えた。
「誰が住んでおられるところかな」
と、供の者に尋ねる、
「あれは、何とかと言われる僧都が、二年間籠もっております所だそうでございます」
源氏は、多分あの大僧都だろうと察知した。「こちらが気おくれするほど立派なかたであるなあ。あの人に知れてはきまりが悪いね、こんな姿で山に来て、あのお方に私が山に来ていることが知れてはまずいなあ」
と言いながら源氏はじっとその家を見ている。その時、その家の庭には、美しい侍童などがたくさん出て来て仏の閼伽棚に水を盛ったり花を供えたりして楽しそうに働いているのが見えた。
「僧都の家に女がいるぞ」
「僧都が女を囲うなんて」
「どんな女だろうか」
源氏の供の者がわいわいと騒ぐ。
下っていってわざわざ覗きに行く者もある。「きれいな女の子たちや、若い女房、童女が
いました」
と源氏に報告する。
源氏は寺へ帰って二回目の仏前の勤めをしながら、昼になるしそろそろ例の発作が起こるころであるがと不安だった。
「気をお紛らしになって、病気のことをお思いにならないのが一番よろしゅうございますよ」
と修験者から言われ、源氏は後ろの山に入り都の方を見る。都の方は霞がかかり、近い木立ちなども淡く煙って見えた。
「絵のような風景だな、こんな処に住む人は、」醜い感情などは起こしようがないだろう」
と源氏は今の心境を独り言のように言うと、「この山はそう深い山ではありません、地方の海岸の風景や山の景色をお目にかけましたら、その美しい自然の風景から、それは、絵の腕をぐんとお上げになられるでしょう、例えば富士の山、それから何々山」
と源氏に告げる者もある。またある供の者は西の国のいい景色の海岸の名前をあげ、磯の名前を次々に数え上げる者もいる。こうして周りの者は源氏の気を紛らそうとした。
また供のひとり良清というものは、
「近い所では播磨の明石の浦がよろしゅうございます。特別に変わったよさはありませんが、ただそこから海のほうをながめた景色はどこよりもよく纏っております。そこに前播磨守入道が大事な娘を住ませてある家はたいしたものでございます。二代ほど前は大臣だった家筋で(源氏の祖父按察使大納言(母桐壺更衣の父親)の兄に当たる人)、もっと出世すべきはずの人なんですが、変わり者で仲間の交際なんかをきらって近衛の中将を捨てて自分から願い出て播磨守になったそうなんですが、任国の者に反抗されたりして、こんな不名誉なことになっては京へ帰れないと言って、その時にそこで入道した人ですが、坊様になったのなら坊様らしく、深い山のほうへでも行って住めばよさそうなものですが、名所の明石の浦などに邸宅を構えております。播磨にはずいぶん坊様に似合った山なんかが多いのですがね、この入道は変わり者らしく人に見られようとそうするかというと、そうではなく、山に籠もってしまうと若い妻子が寂しがるだろうという思いやりなのです。そんなことからずいぶん賛沢に住いますよ。
先日父の所へまいりましたときに、この入道達はどんなふうにしているか、見たいので寄ってみました。京にいますうちは不遇なようでしたが、今の住居などはすばらしいもので、何といっても地方長官をしていますうちに財産ができていたのですから、生涯の生活の準備は十分にしておいて、そして一方では仏弟子として感心に修行も積んでいるようです。あの人だけは入道してから真価が現われた人のように見受けます」
と源氏に語ると、
「それでその女は綺麗な人か」
源氏は尋ねる、
「まず無難な人らしゅうございます。あのあとの代々の長官が特に敬意を表して求婚するのですが、入道は決して承知いたしません。自分の一生は不遇だったのだから、娘の未来だけはこうありたいという理想を持っている。自分が死んで実現が困難になり、自分の希望しない結婚でもしなければならなくなった時
には、海へ身を投げてしまえと遺言をしているそうです」
源氏は面白い話だ聞いていた。供人たちは、「竜宮城のお后様にでもなるつもりなのだろうか」
「気位の高い女だ、憎たらしい奴」
と言うのは現在播磨の守の子供で、今年六位蔵人から従五位下に叙された、良清である、
源氏は十八歳になった。春三月頃から、隔日または毎日一定時間に発熱する病で病瘧という奇妙な病にかかり、心配した付き人達が手分けして、都の内外のお寺や社に参り加持祈祷を願ってきた。しかし一向にその効果が現れない。一日に何度となく発作が起こり回数の間隔も狭くなってきた。ある人が見舞いに来て、
「北山にある某寺に、すぐれた行者が住まいしております。去年の夏も病瘧が世間に流行して、人々がいくら加持祈祷をしても一向に治まりません。もう諦めていたところへ、その行者が修法に優れているということを聞き山にはいって頼みましたところ、たちどころに治った。そのような例が、多数ございました。こじらせてしまうと厄介でございますから、源氏様も早くお試しあそばすとよいでしょう」
と告げたものだから、家来の一人を山に遣わしてこの修験者を呼び寄せた。が使いに出た者が帰ってきて言うのには、
「歳をとり体も不自由ですから、外にはよう出ません」
と返事をする。源氏はそれを聞いて
「そういうことならば、こちらから忍びで出向こう」
と、供に親しい者四、五人ほど連れて、まだ夜明け前というのに山に出かけた。
その修験者がいる山寺は、すこし山深く入ったところにあった。三月ももう終わり頃であるので都の桜はもうすでに散ってしまっていたが、山の桜はちょうど満開の時期で、山を奥に登って行くにつれて、桜霞のかかった景色がとても趣深く見えるので、このような山奥に来ることもない源氏には、見るもの全てが珍しく思われた。
到着した目的の修験者が居る寺は、小さいながらも趣あるひっそりと建っていた。そこは峰高い山でその中腹に巌谷があり修法者はその中で住まいをしていた。 源氏はそこまで登って行き、自分の身分を明かすことなく修験者に向かうのであったが、病で大変にやつれている姿であったが、そこはやはり身分から際だっているので、一目源氏を見て修験者は、
「ああ、これはこれは恐れ多いことです。先日、私をお召しになった方でいらっしゃいましょう。申し訳ありません、今は、世捨て人となりまして現世のことや修験の方法を忘れておりますのに、このようにわざわざお越しあそばしたのでしょうか」
と、修験者は驚き慌てて、それでも微笑みを持って源氏に話しかける。この人物はまことに立派な大徳なのであった。世捨て人で修法も忘れたとは言っていたが、しかるべき薬を作って、源氏に呑ませ、加持などをしているうちに、昼近くなった。
源氏は少し外に出てそこらを眺めてみると、今いるところが高い所なので、山のあちこちに、僧坊建っているのがはっきりと見下ろされる、ちょうど今彼が立っているつづら折の道の下に、小柴垣であるが、きちんとめぐらして、こざっぱりとした建物に、回廊などを巡らして、木立がとても風情あるのが見えた。
「誰が住んでおられるところかな」
と、供の者に尋ねる、
「あれは、何とかと言われる僧都が、二年間籠もっております所だそうでございます」
源氏は、多分あの大僧都だろうと察知した。「こちらが気おくれするほど立派なかたであるなあ。あの人に知れてはきまりが悪いね、こんな姿で山に来て、あのお方に私が山に来ていることが知れてはまずいなあ」
と言いながら源氏はじっとその家を見ている。その時、その家の庭には、美しい侍童などがたくさん出て来て仏の閼伽棚に水を盛ったり花を供えたりして楽しそうに働いているのが見えた。
「僧都の家に女がいるぞ」
「僧都が女を囲うなんて」
「どんな女だろうか」
源氏の供の者がわいわいと騒ぐ。
下っていってわざわざ覗きに行く者もある。「きれいな女の子たちや、若い女房、童女が
いました」
と源氏に報告する。
源氏は寺へ帰って二回目の仏前の勤めをしながら、昼になるしそろそろ例の発作が起こるころであるがと不安だった。
「気をお紛らしになって、病気のことをお思いにならないのが一番よろしゅうございますよ」
と修験者から言われ、源氏は後ろの山に入り都の方を見る。都の方は霞がかかり、近い木立ちなども淡く煙って見えた。
「絵のような風景だな、こんな処に住む人は、」醜い感情などは起こしようがないだろう」
と源氏は今の心境を独り言のように言うと、「この山はそう深い山ではありません、地方の海岸の風景や山の景色をお目にかけましたら、その美しい自然の風景から、それは、絵の腕をぐんとお上げになられるでしょう、例えば富士の山、それから何々山」
と源氏に告げる者もある。またある供の者は西の国のいい景色の海岸の名前をあげ、磯の名前を次々に数え上げる者もいる。こうして周りの者は源氏の気を紛らそうとした。
また供のひとり良清というものは、
「近い所では播磨の明石の浦がよろしゅうございます。特別に変わったよさはありませんが、ただそこから海のほうをながめた景色はどこよりもよく纏っております。そこに前播磨守入道が大事な娘を住ませてある家はたいしたものでございます。二代ほど前は大臣だった家筋で(源氏の祖父按察使大納言(母桐壺更衣の父親)の兄に当たる人)、もっと出世すべきはずの人なんですが、変わり者で仲間の交際なんかをきらって近衛の中将を捨てて自分から願い出て播磨守になったそうなんですが、任国の者に反抗されたりして、こんな不名誉なことになっては京へ帰れないと言って、その時にそこで入道した人ですが、坊様になったのなら坊様らしく、深い山のほうへでも行って住めばよさそうなものですが、名所の明石の浦などに邸宅を構えております。播磨にはずいぶん坊様に似合った山なんかが多いのですがね、この入道は変わり者らしく人に見られようとそうするかというと、そうではなく、山に籠もってしまうと若い妻子が寂しがるだろうという思いやりなのです。そんなことからずいぶん賛沢に住いますよ。
先日父の所へまいりましたときに、この入道達はどんなふうにしているか、見たいので寄ってみました。京にいますうちは不遇なようでしたが、今の住居などはすばらしいもので、何といっても地方長官をしていますうちに財産ができていたのですから、生涯の生活の準備は十分にしておいて、そして一方では仏弟子として感心に修行も積んでいるようです。あの人だけは入道してから真価が現われた人のように見受けます」
と源氏に語ると、
「それでその女は綺麗な人か」
源氏は尋ねる、
「まず無難な人らしゅうございます。あのあとの代々の長官が特に敬意を表して求婚するのですが、入道は決して承知いたしません。自分の一生は不遇だったのだから、娘の未来だけはこうありたいという理想を持っている。自分が死んで実現が困難になり、自分の希望しない結婚でもしなければならなくなった時
には、海へ身を投げてしまえと遺言をしているそうです」
源氏は面白い話だ聞いていた。供人たちは、「竜宮城のお后様にでもなるつもりなのだろうか」
「気位の高い女だ、憎たらしい奴」
と言うのは現在播磨の守の子供で、今年六位蔵人から従五位下に叙された、良清である、
作品名:私の読む「源氏物語」 ー8- 作家名:陽高慈雨