赤ずきんちゃんに食われたオオカミ
久々にY氏に誘われ飲んだ。
Y氏はビジネスマンとしても評価が高く、同時に遊び人である。体格はがっちりしており、その精悍な顔つきはとても七十とは思えない。
「どんなに親しくなっても、全幅の信頼を寄せるのは狂気の沙汰だな」と呟くように言う。
続けて、「僕がサオリに惚れているのを知っているだろ。良い女だった。甘い声で囁いた。みずみずしい体をして寄り添ってくれた。つい気を許してしまい。何もかも信じてしまった。ビジネスでも女遊びでも百戦錬磨はずだったのに。それが、四十五も歳が離れている小娘に手玉を取られるとは。今更ながらに思ったよ。どんなに愛そうと、どんなに親しくなろうと、全幅の信頼を寄せるのは狂気の沙汰だと」と笑った。
笑わざるをえないだろう。噂によれば、二十五歳になる小娘にかなりの現金をもっていかれたという噂である。
「サオリにものの見事にだまされたよ。部屋に置いておいた有り金、全部、持って行かれた。貸してください、後で返しますという置手紙があったよ。すぐに彼女が住んでいるアパートに行ったら、もぬけの殻だった。電話もつながらない。今、考えると何もかも計画的だった。まんまとだまされた。ざっと一千万の損失だ。それ以上に心の痛みがひどい」と笑った。
「実をいうと、彼女のことは少し前におかしいと思っていた」
「君は瓜二つの顔がこの世に存在すると思うかい? DNAのつながりがあるのなら別だが、DNAのつながりがないのに、瓜二つはありえない。誰もがそう思うだろう。しかし、そのあり得ないような現実に遭遇してしまった」
「心寄せているサオリ。彼女は独身のはずだった。昼間はパート。そして夜はホステスのバイト。海沿いの町で家族と慎ましく暮らしていると彼女は言っていたから、そう信じていた。だが、偶然にも彼女とそっくりな女性と出会ってしまった。しかも、彼女は幼子を連れていた。彼女は全く自分が目に入らぬような印象だった。サオリでないなら、それは当然のことだが、しかし私は彼女がサオリでないというのを到底信じられなかった。あまりにも似ていたから。顔つきだけでなく、髪型も、背丈も、そしてコートまでも。しまいに幼子を呼ぶ声さえも似ている気がしてならなった。思わず声をかけようとしたが、彼女が自分を知らないふりをしていたので、瓜二つの別人と思って、その場を離れた。しかし、どうにも納得ができず、その場に行ったら、もう彼女も幼子も消えていた」
「彼女を抱いた後、問いただした。君は一人か? そしたら、彼女は笑って、家族と暮らしていると言った。そういう意味じゃない。たとえば子供はいないのか? と聞いたら、妊娠したこともないのに、いるはずはないでしょと笑って、彼女は手をとりお腹を触らせた。女性経験が豊かなあなたならわかるでしょ? 妊娠した腹かどうかと笑った」
「あの女は獲物をずっと狙っていた。俺が美味しいメスを狙っていたように、彼女もまた美味しいオスを狙っていた。彼女はわざと捕獲されたふりをして、この俺をまんまとだました」
「そうか、赤ずきんちゃんの話はオオカミがかわいい女の子を食う話だが、別にかわいい女がオオカミを食うという話がある。Yさんの話を聞くと、かわいい女の子にオオカミが食うと話を信じるよ。ところで、女の子に食われたオオカミさんは、もう女遊びは止めますか?」
するとY氏は微笑みながら、「俺はオスを止める気はない。止めるときは死ぬときだな。縁側でジジイやババアと世間話に興じるくらいなら、ホステスの股座に顔をうずめて遊んでいるよ」
そのとき、Y氏の携帯が鳴った。
「新しい赤ずきんちゃんからだ。せいぜい、今度は食われないようにするよ」と笑いながら携帯に出た。
作品名:赤ずきんちゃんに食われたオオカミ 作家名:楡井英夫