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どこででも生きていける、きっと。

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もしかしたら、とても辛い決断を下さなければならないかもしれない。
現在の私を取り巻く状況は、とても厳しいものがある。
何故、こんな事態を招いたのか?
ここまで来るまでに、少し余裕のあるところで決断できなかったのか?
もちろん、大いに悩んで何度も決断を下そうとしたけれど、どうしてもできなかった。
やはり、未練と愛着のなせることだったのだろう。
私の好きな言葉に〝終わりの美学〟というものがある。若い頃には一時期、ハマッていた森瑤子先生のエッセイのタイトルでもある。
森先生はこれを男女の別れの際に使われたが、私は終わりが美しくあるべきだというのは、何も男女関係だけではなく、何事においてもそうだと思っている。
最後だからこそ、美しく飛び立ちたい。
美しくはなくても、見苦しくなく、潔くありたい。
そう願っている。
明日、自分はどうするのか?
結局、決断を下さなければならないとしたら、やはり自分を責めるだろう。
どうして、もっと早くにチャンスはあったのに引いておかなかったのか?
―引くべきか、進むべきか、それが問題だ。
 ふと、そんな言葉が浮かんできて、これも何となく検索をかけたら、〝筋を通せば道は開ける、フランクリンに学ぶ人生の習慣〟という本が出てきた。
 筋を通す、か―。
 私はその一文をじいっと眺めた。その視線は恐らく傍からみたら、パソコンの画面をにらみつけているようでもあるし、救いを求めるようでもあったと思う。
 筋を通す、という面だけで見れば、間違いなく今回に限っては、私の思考も行動もそれなりの筋は通っているだろう。
ならば、フランクリンの教えによれば、行く手に道は拓けるのだろうか。そうなるという過信よりも、なって欲しいと願うばかりである。
 私の好きな韓国の詩人が書いた有名な詩〝揺れながら咲く花〟の一節をご紹介して終わりにしたいと思う。

 ゆれずに咲く花がどこにあろうか
 どんなに美しい花も
 ゆれながら咲いたのだ

 全文を記載したいが、著作権云々の問題もあるので、この一節に控える。
 誰でも迷いながら手探りで人生という道を進んでいる。それが、生きるということなのだ。悩みのない人はこの世にはおらず、逆に、哀しみと苦しみだけを抱えている人もいない。どんなにささやかでも、生きる喜びは誰でも感じていることだろう。
 この決断、選択の先に何が待ち受けているのか。
 進むにしても引くにしても、精一杯考えて今の自分に選べる最善の道を選びたいものだと思う。

☆ 名も無き花になりたい☆

春というのはイメージだけでなく、現実に

 光あふれる温かな季節です。

 桜だけでなく、色んな花が一斉にひらく様はまさに、百花繚乱の言葉に

 さわしいものです。

 我が家の庭には、現在、椿も頑張って咲いています。

 【画像有り】

 ☆雪のような純白にほんの少しだけ紅を落としたような斑入りの椿です。

 とても気に入っています☆

  【画像有り】
 
 ☆まだ蕾ですが、鮮やかで、かなり大きな紅が見えます。

 ひらいたところを見てみたいものです ☆

  【画像あり】 

 全体を見たところ。

 椿だけではありません。

 その手前の足下には、こんな花も。

 名前は判りませんが、まさに、野の花ですね。

 【画像あり】

 少し前、親友にどんな花が好きかと訊ねたら、こんな応えが返ってきました。

 それだけで主役になる花ではなく、脇から主役の花を引き立てるよう

 な花でありたい、と。

 そういう花としては、かすみ草が好きだということでした。

 私はその応えに驚いたものです、

 私自身もまったく同じ考えであり、確かブログにも、かすみ草のように生きたいと

 書いたことがあるからです。

 大体、自分の個性を考えても、主役の大輪の花というイメージではありません。

 卑下でも謙遜でもなく、本当のことです。

 ならば、脇から誰かを支える花になりたい。

 そのように考えていました。

 流石は長年の親友だけあり、まったく同じことを考えているのだなと

 嬉しくもあり、おかしくもありました。

 この花も似たようなもの、いえ、かすみ草よりも更に目立たない花です。

 かみ草は認知度も高いし、脇役とはいえブーケには欠かせない存在、

 いわば名脇役といえます、

 でも、野の花は時に雑草とも呼ばれ、花束に入ることもなく、

 まさに、日陰の存在。

 でも、この春の青空をそのまま写し取ったかのような爽やかな青色を

 見てください。
 
 【画像あり】
 

 小さくても片隅に咲いていても、一生懸命、太陽を見上げて咲いています。

 私は、こういう花のようになりたい、生きてみたいと思うのです。

 
 ☆ どこででも生きていける-たぶん(笑) ☆
  
  こんばんは。

 先ほど福山雅治さんの歌を聴いていて、感じたことですが-。

 何度でも花が咲くように自分を生きよう 

 素敵な歌詞ですね。

 聞けば聞くほど、共感できます。

 私、自分の居場所や進路について、去年の秋くらいからずっと悩んできました。

 あんまり他人には聞いて貰えないような話で、

 もう一つのブログでは限定記事というのがあるので、

 そちらで限られた人にだけ聞いて貰えるような形で

 その気持ちを綴ってきました。

 だけど、今、つくづく思う。

 居場所がどこでも、進む道がどこに続いていても、

 何となく自分はやっていけそうな気がする。

 もしかしたら、ですが、

 その限定記事で書いたように、これから先、

 辛い決断をするときが来るかもしれない。

 限られた場所でしか活動できなくなるかもしれない。

 でも、私は私。

 その行った先でベストを尽くせばよい。

 そう思うようになりました。

 以前も書いたかと思いますが、

 花はどこでも咲かせられる 

 というタイトルで記事を書いたら、何故かそのキーワードでブログに来てくれる人が

 いるみたいでした。

 それって、どこにいっても自分はやっていける、ということである。

 何だ-、私、自分で言っておきながら、自分で忘れてたんだな。

 大切なこと。

 何か福山さんの歌でのお陰で、大切なことを思い出したような気がします。