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娘の旅立ち

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『娘の旅立ち』

 いつも母親のミナコに反発して生きてきた娘アイコ。できることは全て自分でやってきた。それに対して母親は自由気ままに生きてきた。几帳面な娘から見ると、だらしない生き方をしているとしか見えない。特に男関係はひどかった。男に捨てられたのは一度や二度ではない。相手の男が悪いわけではない。娘でさえ、母親のように後片付けも、料理もできない。そのうえ男も酒もギャンブル好き。そのうえ口も悪い。ある意味、どんな男でも逃げ出すのが当たり前であった。

 アイコはいつからか母親から離れて暮らすことを夢見た。それを口にしたのは中学三年のとき、「定時制の高校に入る」と宣言した。
母親は「高校なら入れてやるよ」と言った。
「だって、いつも言っていたじゃない、“働いてくれたら、どんなに助かるか”って。だから、自分で働いて学校に行くことに決めた」
 母親にしてみれば、単なる愚痴、あるいは挨拶の程度のもので、娘の心の重荷になっているとは想像したこともなかった。
「決めたのかい?」
 娘はうなずいて、その意思が固いことを示した。
 母親は、娘が自分の悪いところを裏返しにしてできているように見えた。自分の悪いところは、娘の良いいところ。賢く、料理でき、後片付けもできる。ただ顔だけが、二十五年前の自分にそっくり。
 娘はクラスでもトップクラスだったので、学校の先生も進学校への進学を勧めていたが、それがよりによって定時制に進みたいとは。だが、娘が決めたこと。とやかくいっても、どうせきかないだろう。そう思って、母親は口を出すことを止めた。

母親はいつしか酒におぼれるようになった。少なくとも娘にはそう見えた。ときどき、酔って帰ってくるからである。そんな母親をいつも冷ややかに見ていた。酒を飲むのは、寂しさを紛らわすためとは知らずに。

 定時制を終えたとき、娘は家を出ると母親に言った。覚悟していたことだった。当然のことだ。いつも酒を飲んで帰ってくる母親だと呆れて当然だ。ひょっとしたら、もう二度と会いたくないと言われたらどうしょう。そんな思いで娘を見た。
「どこへ行くの?」
「どこでもいいでしょ。ここからずっと遠いところよ」と娘は冷ややかに言い放った。

 娘は密に母親が心を寄せている男のところに行くことにした。母親の面倒を見てもらうと思って。だめな母親と同じくらいだめな男だろうと高をくくっていた。
 その男のマンションのドアを叩いた。ドアを開けた男を見た時、堅実で賢そうに見えたので驚いた
「お願いがあって来ました」と娘は切り出した。男は黙って娘の話を聞いた。
 娘は言った。自分が居なくなったら、きっと家はごみ屋敷になるかもしれない。母親は頑固で、料理も満足にできないけど、優しいところも少しはある。だから、そんな母親の面倒を見てほしいと頼んだ。話し終わった後、娘はなぜが直視でせず、ずっと目を伏せていた。やましいところがあったわけではない。ただあまりにも背伸びをした自分の発言が恥ずかしかったのだ。終わった後、男を見た。
 男は「子どものくせに何を偉そうなことを言っている」と呟いた。
 男は窓の方に行った。
 そのとき、風が入ってきた。風とともに潮騒が聞こえた。そのとき初めて、ここが海に近いことを娘は知った。
「君が思っている以上に、お母さんは君のことを思っている」
「彼女をよく言っていたよ。君がひどい病気をしたとき、必死になってその小さな手を握りしめた。そのときの温もりを今も忘れないって。だから、どんなに惨めなときでも、この子だけは守ろうって思って生きてきたと言っていたよ」
 その話を聞いて、自分も母親と同じように滑稽なほど不器用な人間だと思わざるをえなかった。誰にも、薄っぺらな表の顔と、裏の顔がある。その薄っぺらな表の顔だけで母親を判断していた過ちに気づいた。

 春の柔らかな日差しが朝から差していた。その日は娘が旅立つ日だった。家を出る、ちょうど一時間前のこと。母親は娘に見つからないように独りで声をあげて泣いていた。偶然に目撃した娘は胸が締め付けられるのを感じずにはいられなかった。“素直にありがとう”と言いたかったが、言えなかった。ただ流れてくる涙を拭うだけ。
 母親は駅まで見送ると言った。何もなかったように二人は家を出た。
 駅に着いた。
 娘は小声で「今日までありがとう」と言った。
 母親は信じられずに聞き返した。
「何か言った?」
「ありがとう」とまた娘は呟いたが、聞こえないふりをした。
「そんなことより早く乗なさい」と娘をせかした。
「夏にまた来るよ」
 母はうなずいた。
 娘を乗せた列車が出た。
 母親はとめどもなく流れてくる涙を抑えることができなかった。
作品名:娘の旅立ち 作家名:楡井英夫