銚子旅行記 銚子からあのひとへ 第一部
どういうわけか銚子に行くと、直後にカメラやパソコンが壊れることが続いた。それにより、銚子電鉄の電車の撮影データも消えてしまった。その現象が収まった頃には1002号車の塗装も変わっていた。〝鉄子カラー〟時代の写真は、とうとう残らずじまいとなってしまった。よくよく考えると、一度にラッピング電車と〝鉄子カラー〟の両方に乗れたのは、初めて銚子電鉄を初めて訪れた2009年が、最初で最後かも知れない。
その後、1002号車は丸ノ内線時代の色に復元された。また、後からラッピング電車も塗装変更されることになった。その際、利用客やファンに対して行ったアンケートで多かった意見が反映されて、オレンジ色の銀座線カラーとなった。聞くところによると、1001号車の車内は、ほとんどラッピング電車時代のままらしい。ラッピング電車の座席のクッションは、ゲームのキャラクターが描かれたものだった。銀座線カラーになってから、1001号車に乗る機会がなかった。なので、まだ自分で確認することができていない。
銚子電鉄は、ノスタルジーのある路線だ。駅も電車も古い。列車に乗ると、たちどころにまだ僕が生まれていない時代にタイムスリップしたような気分になる。それも好きで銚子へよく行く。それに、小さな電車が車体をゆらゆら揺らしながら走る姿が愛くるしくて好きだった。
普段使っている西武新宿線は、短くて6両編成。大蛇のようなそれをほぼ毎日見ている人間には、たった1両の、それも小さな電車が走っているという点が、何か小動物でも見ているようで、愛くるしさを感じた。
1002号車の引退が発表されてから、その運行情報が銚子電鉄のブログやフェイスブックページで発表されるようになった。それは僕のように、引退前の最後の雄姿を見届ける人向けかも知れない。最近では、なくなる車両や路線に乗りに行ったり、写真に撮ったりすることを、〝葬式鉄〟と言うぐらいだ。僕は普段の姿をしっかり見届けたいと思っている。なので、〝葬式鉄〟には興味がない。だが、それが思い出深い銚子電鉄の電車となれば別だ。
理由は後述するが、大晦日に行くつもりだった銚子への旅は、21日に前倒しした。発表された情報によると、その日の1002号車は、朝早くからの運用に入ることになっていた。しかし、運用される時間は短く、8時半過ぎには店じまいをして、車両基地に帰ってしまうようだった。なので、1002号車に乗ることもできないし、走っている姿を見ることもできない。残念ながら、車両基地で寝ている姿を見るだけ。
前回、銚子に来た時も、1002号車は車両基地で寝ていた。その前に来たのは、2年前の7月。その時には、うっすらとだけれど1002号車に乗った記憶がある。それが最後の乗車となってしまった。その時、本当は伊豆へ行くつもりだった。ところが、あてにしていた切符が、出発の前日までの発売ということを当日の東京駅で知り、急きょ、行き先を銚子に変更したという経緯がある。今思えば、行き先を変更して正解だった。
1002号車の引退が発表されてからしばらくして、今度は引退記念運行の日付も発表された。2015年1月10日とのこと。最後の最後に立ち会うことはできないが、何とか車両基地で寝ている姿だけでも、この目に焼き付けておかなくては。
第三章 白熱電球
とにかくどこかへ行きたくて、紅葉見物ばかり行っていたというのは先述の通りだ。だが、この3ヶ月の間に、その紅葉見物以外にも2回ほどささやかながら旅に出た。
1度目は、横浜市の鶴見区周辺を走るJR鶴見線という都会のローカル線に乗りに行った。2回目は、横須賀方面へ。どちらも神奈川県への旅だった。今回の銚子への旅は、久しぶりに神奈川県以外へ行く旅となる。
鶴見へ行った時も横須賀へ行った時も、ある〝単純な疑問への答え〟を求めていた。
〈果たして僕は今、誰かに恋をしているのだろうか〉
本当にそんな単純な疑問への答えだった。それなのに、いつからかそれが見つからなかった。気がつけば、自分さえも見失って生きていた。焦っていた。何に、と言うよりも、全てに。だからこそ、あんな単純な疑問への答えすら見つからなかったのかも知れない。
求めていた〝単純な疑問への答え〟は、2回も旅に出て求めたのに、今もって見つかっていない。ただ、見つかりつつあると言えば見つかりつつあるのかも知れない。いや、見つかっていることに、ただ僕自身が気づいていないだけかも知れない。やっと、〝旅のマドンナ〟が現れた気がする。
夢破れたあの晩、白熱電球の明かりに照らされたあのひとの横顔が、とてもきらびやかで……
作品名:銚子旅行記 銚子からあのひとへ 第一部 作家名:ゴメス