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人生は仮面をつけて

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『人生は仮面をつけて』

 車椅子を押すシオリに向かって、「何がそんなに楽しい?」と高村は怒りを込めて言った。
今朝会ったときから、シオリは、ずっと怒りの色を隠せないでいる高村のことが気になっていた。もっとも初めて出会ったときから妙にとがっていたが、その原因が分からぬまま、シオリは世話を続けていたのである。
「別に何もありません」と答えた。
気に食わぬ返答には、高村は必ずといっていいほど難癖をつけるが、忙しいシオリは暇な高山の喧嘩の相手になる気など毛頭なかったので、「別に何もありません」とだけ答えただけなのだが、それが、どう癇に障ったのか分からないが、高村は怒りを爆発した。
「ちゃんと、答えろ!」
実を言うと、高村はずっとシオリが気に食わなかったのである。シオリは良いところに嫁いだ品の良い婦人で、暇も金も程々にあり、いわば自己満足のためにボランティア活動している女だと勝手に決め込んでいた。そんな女の情けを受けていることに、高村は我慢がならなかったのである。
だが、豊かさえいえば、寧ろ高村の方こそが裕福だった。資産家の一人息子として生まれ、一流大学を卒業し、アメリカに留学した。その後、母校に戻り、教授職を長らく務め、数々の賞も受賞した。同じ大学の後輩と結婚し二男もうけた。息子たちもみな一流大学を出て今は独立している。傍からみれば幸せを絵に描いたような半生である。ところが、たった一度間違いを犯した。さほど親しくはなかったが、ホステスと旅行に出かけ、その旅行の途中に交通事故を起こしたのである。その際、運転していた彼は、脊髄が損傷し、車椅子の生活となってしまったのである。自責だから誰にも文句を言えない。文句を言えないばかりか、ホステスを同乗させていたことが発覚し、長年築いてきたものが一挙に崩壊した。妻にも、子供にも見放された。挙句の果てに、施設に入れられたのである。 妻は入所する際に言った。
「良かった。いいところが見つかって、ここは死ぬまで面倒みてくれるそうよ」
車椅子の夫が目の前にいるにも関わらず、
「家から随分離れているから、よほどのことが無い限り、電話をしないで」と施設を管理する者に頼んだ。

長年、面倒を見た妻と子供たちに見放され、さらに東京から遠く離れたところの施設に閉じ込められた。一生、出られない。
みじめな境遇に置かれた高村は、世界一の不幸者だと思っていた。それゆえ、いつも笑みを浮かべ幸せそうにみえるシオリが憎たらしく堪らない。いつしか、ろくに見舞いも来ない妻や子供たちと同じくらい憎い相手になっていたのである。

「なぜ、何も言わない」と高山は怒鳴った。
「言いたくないからです」と平然と答え、車椅子を押した。
「心の中で俺を馬鹿にしているだろ?」
「どうして、そんなふうに思いますの?」
「楽しそうに微笑んでいるからだ」
「幸せそうに見えますか?」
「憎たらしいくらいに、そう見える」
 車椅子を押すのを止めた。
「どんなふうに見えます?」とシオリは高山の前に立った。
「金と暇を持て余した主婦だ。何もかも充実している。そのうえボランティア活動していて、世の中の役に立っている。そんな自己満足に浸っている」と高村は言った。
「私は結婚していません。三十一歳ときに恋人と死別して以来、男の人を愛することができなくなりました。心の中に大きな穴があいて、ずっと死ぬことを考えていました。でも、ある日、誰から聞いたんです。微笑なさい。微笑めば明るくなる。明るくなれば前向きになれると。それ以来、微笑むことにするようにしたんです。そうしたら、いろんな人が話しかけるようになった。心の中の穴は消えないけど、何だか少し息をするのが楽になった気がしました。三十八歳くらいのとき、独りぼっちの時間は何か世の中の役に立つことをしようと思いました。そのときボランティアを始めました」
シオリの意外な告白に、高山は言葉を失った。
「なぜ、わしを気にする?」
「何だか、拗ねている子供みたいだったから」とシオリは笑った。
高村は、いつものように微笑んでいるシオリを見た。 はっと気付いた。シオリは自ら律し大人の女の役を演じているのだと。
-「誰もが仮面をつけて自分の人生を演じています。どうせ演じるなら、不幸という仮面をつけるより、幸せという仮面をつけた方が良いでしょ」とシオリは言った。
「誰の言葉だ?」
「私の言葉です」
 高村は笑った。彼女の話を聞いて、子供のように振る舞う自分を、恥ずかしいと思わずにはいられず、顔を少し上に向けると、遥か彼方に春の青い空があった。

作品名:人生は仮面をつけて 作家名:楡井英夫