予行練習
歩幅、スピードはゆっくり、前の人とは1.5メートルくらいあけて入場、曲がるときは角をしっかり、校歌は大きな声で。いろいろな注意が耳に届く。きっと、体育館に着いてしまえば飛んでいってしまうだろう。それでも、校歌は大声で歌う気がする。
みんなが一斉に立ち上がり、椅子が鳴る。騒がしいが、その真ん中には緊張の糸が細く見えるような空気だ。私は空気を吸い込む。
階段を一段一段降りていく。入学したての頃は、一段の高さに息を上げたものだった。なんとなく歩いているうちに、出席場号順になっていた。前の女の子が発した、泣きそう、という言葉に私も引きずられてしまいそうになる。
一組から、順に体育館へ続く通路に並ぶ。三月に入ったもののまだまだ寒く、名物のからっ風が体感温度を下げていく。手がかじかんで、心臓の音が内側から鼓膜を震わす。
ゆっくりと、じりじりと列は短くなっていく。級友とまともに会話をするのは半月振りで、話すことがなくなってもこそこそと無駄話を続けた。
いよいよだ。体育館の中を伺う。左手に在校生と保護者、右手に半分が埋まった卒業生の席。六年前の光景のようで、去年見た光景のようで、違うのだと思い直す。これは私の卒業式で、これで本当に終わりなのだ。深呼吸をしないと、ツンとした鼻の奥をどうにもできない。
一歩、踏み出す。くすんだ緑のマットを、青いスリッパで踏む。前を進む級友との間隔を調整しながら、姿勢を正し、踵よ、もうちょっと上がらないか、と思いながら歩く。歩くという行為の正しい順序を思い出せなくなったあたりで、席にたどり着いた。四列縦隊、出席番号二十四番の私が椅子の前に立った段階でお辞儀をする。壇上の校長も頭を下げ、四人で腰を下ろす。
全員がこの作業を終えるまでの間、私は目を閉じて今までのことを思い出していた。歌詞カードを渡されて歌えと言われた初見の校歌、知らない人だらけの教室、最上階から見た夜景、一回目の卒業式、驚くほど早い数学の授業、優勝したくてたまらなかった合唱コンクール、いつだってビリの体育祭、にぎやかな日常の教室。
目を開けると、伸びた背中が目の前にあった。三年間、学級委員をやり通した彼だ。私の隣には、式典ではいつも真っ直ぐ居眠りをしていた彼がいる。一つ後ろの列には、尊敬してやまない彼女がいる。みんな、もう離れてしまうのだと思うと、涙腺が絞られそうな気持ちになる。ああ、教室に戻るまで保てばいいけれど。
起立の号令がかけられて、素早く立ち上がる。無意識に、手の力が入ってしまう。
刻もうと歌った最後の一瞬だ。それを終わらせるのは私たちのひとりひとりなのだ。あまりにもどこにでもある、他愛のない風景を思い出しては刻みつける。愛した時間を過去に投げ入れる。結局、礼の号令で、視界がぼろり、崩れてしまった。
言葉に並べようとしても、呼吸や心拍や涙の分だけ、薄っぺらくなってしまう。それでいい。私はみんな飲み込んで、壇上を見上げた。