白い舞台
妻とは学生時代に出会った。周囲からは「美男美女の似合いのカップル」だともてはやされ、ぼくたちも十分その気になっていた。
しかし、キャンパスを衆目のなか闊歩したのち、二人きりの時間になると、まるで楽屋に戻った役者のように、ぼくたちはいつまでも押し黙っていた。ふつう恋人は二人きりの時間を切望するものだろうが、ぼくたちはどこかでそれを恐れていた。
ぼくたちは、大学を卒業してから3年後に結婚した。同年代ではまだ結婚が珍しかったせいか、披露宴、二次会ともに不条理なほど盛大だった。
体の相性は悪くなかったが、4年経っても妻が妊娠することはなかった。それでも不妊治療のたぐいに取り組む意思がお互い無かったのは、まだ若かったからというより、相手の子供が欲しいとはお互いが思っていなかったからだろう。
そして、何の前触れもなく別れの日は訪れた。それはある秋晴れの日に、ドライブに出かけたときのことだった。その頃のぼくたちの演技は、自分たち自身が演技であることを忘れるほどに円熟していた。もはや誰も見てくれる人などいないのだが。
その日の演目は「ドライブ」であり、背景は「青い空」であり、小道具は「クルマ」だった。
南房総の国道脇にクルマを停め、白い砂浜に二人は腰をおろしていた。妻は右手ですくった白い砂を、砂時計のように左手の手のひらに細く落としながら、かすかな音量でこう言った。このボリュームの絞り具合も、思えば絶妙だった。
「ねえ、あたしたち、そろそろおしまいにしない?」
ぼくは驚いた。意表をつかれたのではない。彼女が口にした言葉の完璧さに驚嘆したのだ。彼女のセリフは、その言葉の並びも、発するタイミングも、発する場所も、すべてがこれ以外あり得ないほど完璧だった。
ぼくは、どんな言葉を返せば及第点かを考えていた。しかし、いうべき言葉が見つからない。相手が圧倒的すぎたのだ。
ただ、役者は舞台から降りても実生活があるが、実生活を舞台にしていたぼくたちは、「おしまい」になったあと何処へ向かえばいいんだろう。彼女にはそのビジョンがあるというのか。
「いいけど、そのあと君はどうするの?」
「死ぬのよ。決まっているじゃない」
「いいね、それ、乗った」
うまい具合に声は震えていなかった。舞台の幕引きとしては、我ながら上々の出来だとぼくは思った。
作品名:白い舞台 作家名:DeerHunter