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死ぬのはもったいない

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『死ぬのはもったいない』

彼女は仕事ができるという評判だった。でも、異性においては、その能力を発揮できず、むしろいいように利用され捨てられた。今回もそうだった。

彼女は真剣に恋をした。自分には不釣り合いの男だと思っていた。長身で、ハンサムで、その知的で、物腰が柔らかくて、そのうえ包容力があった。どうしてこんないい男が結婚していないのか、と出会った頃、そう思った。しばらくして、そのことをやんわりと聞くと、
「君と出会うためにずっと独りでいた」と答えた。
こういった答えに心がよろめかない女性はいない。ましては三年近くも恋人がいなかった女は。極め付けは、彼女が憧れていた一流大学を出ているということだった。
 何度か彼を部屋に泊めた。
 彼は優しかった。
抱かれる度に、彼女の警戒心は少しずつ消えていった。そして、ついには、彼のうまい投資話に通帳さえ預けるようになってしまった。気付いたとき、通帳から八百万も消えていた。初めは狐に化かされたのだと思った。が、彼に連絡を取ろうとしても、連絡が取れない。その時、気付いた。彼に勝手に引き出されてしまったのだと。被害届を出した。一昨年の冬のことである。

刑事が来た。
「こいつは結婚詐欺師ですよ。二十年近く続けている。半年前に出所したばかりだというのに、また、やったのか」と舌打ちした。
「お金は戻る?」と彼女は聞いた。
「難しいでしょ。彼は得た金はぱっと使います。そのうえ、被害届が出る頃には、別のところで同じようにだましている。彼は用心深い男ですよ。変装して、夜街に身を潜めてくらしている。障害事件とかじゃないから、なかなか捕まりません」

生きる気力を失った。昨日まで正確にいえば大切な人と思っていたのに、単なる詐欺師で、おまけに大金を取られてしまったのだから無理もない。彼女は誰にも気づかれず泣いた。そして泣けば泣くほど、自分の愚かさに気付き、死ぬしかないと思い詰めた。

春になった。
死ぬために、山間の温泉地に来た。
月夜であった。
橋のたもとに立った。死のうと思って、ずっと谷底を見ていた。いざ、飛び込もうと思った矢先のことである。ふと見上げると、星が今にも落ちてきそうなほど大きく見えた。宝石のように輝いていた。その美しさに魅せられた。なぜか涙が流れてきた。不思議なくらい止めどもなく流れた。どうして、こんな美しいものに気づかなかったのかと思ったのである。同時に、まだ死ぬには早い。死ぬのはもったいないと思うようになった。

数日後、彼女は前よりも生き生きした顔を働いていた。むろん、自らを叱咤激励する意味を込めて、幾分を作っているところはあったかもしれない。しかし、彼女の顔のどこにも死の影はなかった。

作品名:死ぬのはもったいない 作家名:楡井英夫