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夫の顔

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毎朝六時に時計のアラームが鳴る。朝は弱い。目を開けることなく、手探りでボタンを押す。五分ごとのスヌーズを三回繰り返すと、スマホから音楽が流れる。六時十五分。目を開けないと、音楽は止まらない。だって、パスコードを入れないと止まらないから。さらに時計のスヌーズを三回繰り返し、やっと脳が動き出す。六時三十分。
 ふらふらしながらトイレに入り、リビングへ向かう。
エアコンをつけると、気温は十度。また寒くなるんだね。椅子にかけっぱなしのフリースを羽織り、ドイツ製のシステムキッチンでティファールに水を入れる。このキッチンは、水を出すくらいしか仕事をしない。コンロにはうっすら埃。
カップとグラスしか入っていない食器洗浄機からマグカップを取り出し、インスタントコーヒーをスプーン二杯。ああ、しまった。スイッチ入れてなかった。ティファールのスイッチを入れ、シェルフから買いだめしてある菓子パンを出す。ゴゴゴと言いながら、ティファールが湯気を上げ、カチっと電源が落ちた。マグカップに湯を注ぎ、コーヒーの匂いのする液体と菓子パンを持ってリビングへ移動。
天気予報が見たくて、テレビをつけるけど、朝からラーメンだとか焼肉だとか、食べ物の特集ばかり。見ているだけで胃がもたれる……。
テレビの時報は六時五十分。菓子パンの袋をバリバリと破り、熱いだけのコーヒーもどきで流し込む。
頭がはっきりしてきたところで、洗面台へ。顔を洗い、化粧水と乳液で入念に肌を作る。パックをしている間に歯を磨くと、さっき飲んだコーヒーもどきの茶色い泡が出た。五分ほどマッサージをすると、黄ばんだ肌にツヤと赤味が戻って来る。
寒いのでメイク道具一式を持ってリビングに戻ると、夫が同じようにティファールでコーヒーもどきを作っていた。
「今日、仕事何時に終わる?」
「どうして?」
「ヨシムラ先生のパーティーがあるんだよ」
「何時から?」
「七時半」
「どこで?」
「ニューオータニ」
「わかった」
夫はそれだけ言うと、コーヒーもどきを持って自分の部屋へ行った。最低限の言葉しか交わさない。『オハヨウ』などという単語は、もう何年も夫の口から聞いていない。私も聞かせていない。
いけない、夫との会話にイライラしていたら、もう七時十五分。
下地から始まりコンシーラー、ファンデーション、ルースパウダー、アイメイク、アイブロウ、チーク、そして仕上げにリップ。三十分はかかる。
顔が出来上がったら、洗面台でヘアセット。そろそろ、美容院行かないと……ローションとムースで取れかけたカールを必死に甦らせる。正面、サイド、後ろを鏡でチェックして、首から上は今日も完璧。
自分でも思う。どう見ても三十五歳。このマイナス五歳のために、私は必死なのよ。ああ、もう、八時過ぎてる……
部屋へ行く途中に、高そうなジャケットを持ったイケメンのビジネスマンとすれ違った。いやいや、よく見たらうちのダンナ。私と入れ替わりに洗面台で身支度している。待ってたんだ。言えばいいのに、代わってって。まあ、逆の立場でも言わないけど。
 今夜はパーティか。何着ようかな。クロゼットを開けて、数あるスーツの中から今日の衣装を選んでいると、玄関ドアが閉まる音が聞こえた。『イッテラッシャイ』なんて単語も、もう随分言ってないし言われてない。
えーと、あのヒトはグレーのスーツだったから……私はクロにしようかな。フリルカラーの白いブラウスを合わせて、ネックレスはダイヤのオープンハート。夜は寒そうだから、トレンチコート持っていこう。ああ、新しいバーバリー、欲しいなあ。
グッチのバッグにノートPCとスマホを詰め込んで、あー、これ、忘れるとこだった。指輪指輪。カルティエの時計を見ると八時三十分。そろそろ出ないとね。
 外に出ると、意外にあったかい。家の中の方が寒いんだ。グッチのピンヒールでコツコツとアスファルトを鳴らし、ゴミ捨て場にゴミを出す。オハヨウゴザイマス。笑顔で言ったものの、誰? とりあえずご近所さんには笑顔で挨拶しないとね。だって私は『いい隣人』だから。
駅まで歩いて五分。途中で幼稚園だか保育園のお送りのママやパパにすれ違う。いつも思う。私って、どう見られてるんだろう。二十五で結婚して十五年。結局コドモはできなかった。
自分で言うのもなんだけど、四十にしてはキレイにしてるほう。このママさん達、きっと私より若いけど、きっと私の方がイケてる。だけど、なんとなく、独身なんだ、いくらキレイにしても、独身なんだ、私にはこんなにかわいい子供がいて、パパがいて、幸せなのよ、って言われてる気がする。いや、独身じゃないんだけどね。独身みたいなもんだけど。そんな気がするから、余裕の目で見てやるのよ。若いのに、そのオナカとオシリ、大変ねって。オケショウくらい、もうちょっとしたらいいんじゃないって。
ああ、いつからこんなに性格が悪くなったんだろ。ああ、元からか。ちょっと、そこ、ジャマだから。なんで歩道で喋るわけ? 通れないでしょ? ああ、イライラする。
 八時四十分に駅について、八時四十七分発の電車に乗り、九時十五分に電車を降り、九時二十三分にタイムカードを押す。都会の時間は分刻みなのね。私はこの分刻みさが大好き。都会を感じるから。

「部長、おはようございます」
「おはよー」
ああ、他人には結構言ってるじゃん、この単語。デスクに座り、パソコンを立ち上げ、メールチェック。キーボードには山のような書類とファックス。なんでバラバラに置くわけ? ていうか、クリップでまとめるとか、そういう頭はないのかしら? ああ、またイライラしてきた。
「あの、部長……」
オドオドと報告書を出しに来たのは、入社二年目のノジマくん。見た目はイマドキだけど、気が弱いのか、いつもオドオドしてる。なんかイライラするのよねえ。
「昨日のプレゼンの報告書なんですけど……」
「却下されたんでしょ? 企画自体はよかったのに。もうちょっとプレゼン|力《りょく》つけないと」
「はあ……あの、僕……」
「何?」
「向いてないと思うんです」
「何に」
「企画は楽しいんですけど、プレゼンは……」
「プレゼンまでやって企画でしょ?」
「……すみません」
ジャケットのポケットから出したのは『退職願』。マジで? そんなすぐ?
「何これ」
「病んでるんです。僕。きっとうつ病です」
あのねえ……そんな簡単に『うつ病』とか言わないの。でも、かなり落ち込んでるわね。こういう時の『願』は受け取らないのがマニュアル。
「病院行ったの? 診断書あれば、休職扱いにできるから。そんな簡単に辞めるとかいわないで。ね、よかったら、私、病院について行ってあげるよ?」
ああ、私って優しい。
「部長……」
ちょっと、泣かないでよ。私がなんかしてるみたいじゃん。
「ノジマくん、病院、行く?」
「はい……一人だと行けなくて……」
「わかった。じゃあ、一緒に行こう。とりあえず、医務室に行こうか」
グズグズと泣く二十四歳の男を連れ、医務室へ。途中でチーフのタヤマくんに声をかける。
「ノジマくん、体調悪いみたいなの。病院まで送っていくから、なんかあったら電話して」
「わかりました」
作品名:夫の顔 作家名:葉月 麗