ソラに咲くハナ
真夏のくっきりとした青と白のコントラスト。
柔らかい光が雲間から差し込む、天使の階。
望郷の念をかきたてる茜色のグラデーション。
空は、人の表情のよう。
見上げれば空はどこまでも遥かに、彼の人の元へと続いている。
だから、忘れたくなかった。
脳裏に焼き付けるだけでなく、ずっとずっと忘れたくなかった。
「あれ、珍しい物持ってるじゃん」
食堂で紙コップに入ったコーヒーをちびちびとすすっていたエリサ・アレクセイに、気さくに声をかけてきたのは同僚の男性少尉、キーツ・ハウザーだった。
ラース星域駐留軍の前線基地には、戦闘機乗りが多く集っている。
パイロットだけでなく補佐を努めるフライトフィクサーは、ほとんどが少尉以上の階級を有していた。
「なによ。デジタルじゃないだけで、そんなに珍しい?」
声をかけられたエリサは視線をあげて相手の姿を認めると、珍しいと言われた『それ』へと目を向けた。
「ああ、今時珍しくないか? 一眼レフカメラなんざ」
「今ではすっかり何でもデジタル化されてるものね。でも、あたしは自分で撮る写真だけは、昔から変わらないフィルムカメラが好きなの」
愛しそうに視線でカメラを撫で、彼女は少しだけ笑んだ。
今までもからかい半分などで様々に言われてきた。
けれど愛着があり、ずっと変わらずに大切にしてきたカメラなのだ。
「今やすっかりアンティークとも呼べるシロモノだけどな。よく使えるな?」
「物には心が宿るのよ。大切にすれば、物だって応えてくれるわ。戦闘機もカメラも変わらないわ」
白い紙コップから湯気をたててかすかに揺れるコーヒー。
そして訪れた、僅かな沈黙。
周囲のざわついた話し声だけが二人の耳に入る。
「……なあ、アレクセイ少尉」
キーツは彼女を名前ではなく、階級付きで呼びかけた。
声が少しばかり硬くなっているのを察したのか、エリサは真っ直ぐと見つめ返した。
こと、と乾いた音が小さく響き、紙コップは静かにテーブルに置かれる。
「あの任務……受けたからか。写真を撮ろうとしているのは」
「……何の事だか、わからないわ」
真摯な眼差しで自分を見つめ、言葉を切り出したキーツに対してエリサは思わず視線をはずした。
コーヒーはすでに冷めてしまったのか、湯気も上がらない。
エリサはぎゅっと手を強く握り締めるとゆっくりと息を吐き出し、そして口を開いた。
「あたしたちは軍人よ……そしてここは、人に仇なす『アズリア』との前線星域。任務を個人の感情で断るなんてこと……あなたはできるの、キーツ?」
アズリア……その名が人類に知られるようになったのは五十年ほど前のこと。
地球外知的生命体であったアズリアは、最初こそ友好的に接してきた。
地球で奇妙ともいえる共存を始めて二十年も経った頃。
その仮初の友好関係は崩れ去った。
アズリアは突如地球を支配下におくと宣言し、そこから長い戦いが始まった。
この、現在までに続く戦いが。
人々は技術を急成長させ、戦争の舞台を宇宙へと移す事になる。
航宙戦闘機は目覚しい進歩を遂げ、多くのパイロットとフライトフィクサーによって得られたデータから更なる高みを望む。
「……わかってる。俺もエリサも、戦闘機乗りだ。そして軍人だ。与えられた任務から逃れる事なんてできない。けれど俺は……」
「そこから先は、言いっこなしよ」
辛そうに言葉を紡ぐキーツに、エリサは静かに微笑んだ。
そして左手を傍らのカメラへと添える。
「あたしね……空が好きなの。だからパイロットになった」
右手はシャッターに、左手はカメラを支えながらレンズをゆっくりと調整する。
ファインダー越しに覗いたキーツの表情は、どこか寂しげだった。
「この空を守れるためなら……あたしはなんだってする。だから……だから、笑って、キーツ? あなたの笑顔を忘れないために」
「エリサ……」
ゆっくりと押されるシャッター。
キーツは胸の重さを堪え、なんとか笑もうとした。
「……生きて、帰ってこいよ」
カシャッ……
「ありがと、キーツ……」
ほんの僅かに、エリサの瞳の端に涙が浮かんでいた。
翌日。
エリサ・アレクセイ少尉所属する第二小隊『アークエンゼル』は基地を飛び立った。
目標はアズリア最前衛の防衛戦突破。
『アークエンゼル』小隊は防衛戦を突破するも、飛び立った戦闘機は一機たりとも帰還する事はなかった。
それから三年後。
人類とアズリアの長きに渡る戦いに終止符が打たれる。
その戦いに散っていった命の華は、今も宇宙(そら)に咲いている……
End.
テーマ「空」
お題「コーヒー」「白」「写真」「最後」
制限時間60分