楽しそうに見えるやつも、そうじゃない
そいつは高校時代、3年間同じクラスで感覚が似ているところが多かった。
2人だけにしかわからないことで笑い、それを笑うクラスメイトを見てまた笑ったりもした。私たちは特別で、きっとどんな者たちよりも最後には笑う者だと確信していた。
最後の文化祭では優勝して、それなりの大学へも行くことが決まり、強いて言うならば部活のバスケットボール部でメンバー入りできなかったことを除けば最高の高校生活だっ。
別々の大学へ行った私たちは、ちょくちょくと連絡を取っていたが会うことは少なくなっていった。大学も3回生になる頃に、ヤツから連絡が来た。母校の近くにあるコンビニで久しぶりに合ったヤツはタバコを覚えていた。
「ごぶさたです。」
と、意図的に使った敬語がおかしくて、久しぶりの対面による緊張もすぐにほどけていった。高校時代の思い出についてだらだらと話したり、大学の知人内では隠しているタバコを吸ったりすることがすごく心地よかった。
その日から私たちは、高校時代のことを思い出すかのように、夜な夜な街に出ては遊び更けるようになった。
3回生も夏休みに入り、所属しているバスケットボールサークルの同期と就職活動のことについてなんとなく、答えの出ないようなことをだらだらと話し合ったりした。私は中学、高校、大学とバスケットボールを続けていて、それが全てだった。気がつけばバスケについて考えて、行動していた。本当にバスケが全てだった。だからこそなのか、結果は中途半端に思えて、納得がいくことはないまま、とうとう現役を引退してしまったのだった。それからというもの、私は伽藍堂の心を必死に埋めるべく、バイトや就職活動のための自己分析に熱を注ごうとしたのだが、身が入らない。どうやら、熱中するものを見つけなければ生産的に生きていけないということに気がついた私は、焦燥感に襲われるようになった。プレーヤーとしてせいぜい70点の私は、残念ながら自分の腕で食べていくことはできない。日本におけるバスケの経済的地位は高くはなく、仕事にして生きていくことは臆病な私には難しいように思えた。かといってサラリーマンとして平凡に生きて行くことも嫌な私は苦悩した。バスケットボールマンという過去形になってしまったアイデンティティに私は失ってから気がついたのだった。
さて、焦燥感に駆られた中途半端人はヤツと会うことにすがるようになっていた。ヤツは大学を休学してバンドマンとして、本人曰く、「中途半端な活動」を続けているようだった。私たちは傷を舐め合うように自分を卑下して、苦悩を打ち明ける。醜く、互い弱みを知ることで生きている、生きていけるのだ。
作品名:楽しそうに見えるやつも、そうじゃない 作家名:まあじなろまん