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Twinkle Tremble Tinseltown 11

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「ああ、以来テリヤキも駄目、トヨタも駄目。馬鹿な奴だ」
「まったく」
 灰をたたき落とす指先を見つめたまま、男も頷いた。
「僕が局長だったら、あんな奴はさっさとクビにしてる。同じアジテーションをまき散らすにしても、あれだったらまだジム・ジョーンズの方がよっぽど上手くやってくれるだろうさ」
 今度は相手が笑う番だった。手挟んだ煙草がへし折れそうなほど強く指に力を込め、そっくり返った体はそのまま後ろへ倒れそうな有様。
 だから彼も、自ら口にしておいて思わず口の端に嘲笑を浮かべてしまった男も、視界を焼いた白さへ飛び上がる余裕すらなかったほどである。


 近いところへ落ちたらしい。つんざく雷鳴はまず破くような音を立て、それから低い唸りと共に広がっていく。
 鈍色の空を走った稲妻の残像が網膜から消える頃、ようやく男はふっと息をついた。シャツと地肌の間を這っているじっとりとしたものが、湿気ではないと気付く。

 冬が去ろうとしている。この雨とて今日の間こそ降り続けるだろう。だが幾重にも重なった雲が晴れた暁に、やってくるのは間違いなく陽気だった。ツイードのダブルでは暑すぎる。そんな季節が近づいていた。
「それにしても、ひどい降りだ」
 天を仰ぎ、男はぽつりと呟いた。
「気が滅入る」
「今夜中は止まないらしい」
 いつの間にか、彼も同じ場所へ視線を向けていたらしい。僅かに反らされた喉から出た声は、しとつく雨だれの音へ身を隠すかのように静かなものだった。
「ほんとうに、気の滅入る」
 一歩踏み出せば襲いかかられる紙一重の場所で、二人は天からの猛威を黙って見上げていた。

 いつの間にか指の際まで迫っていた火元に声を上げ手を振れば、彼は轟きが鼓膜を打ったときよりも大きな身じろぎと共に顔を向けた。そこに浮かんでいるのが呆れと哀れみであることに気付き、男はぶっきらぼうに言い捨てた。
「葉巻ばっかり吸ってるせいだ」
「ここのところコイーバの値上がりは異常だな。煙草以上だ」
 温情と共に彼は言葉を継いだ。
「ブームだ何だと。しかも出回るのは粗悪品ばかりで」
「どこで買ってる」
 僅かに赤みの差した人差し指の第一関節を口に含みながら、男は聞いた。
「まさか通販だとか言わないだろうな」
「ダスタン通りにある店で」
「正規の店か。そりゃあ高いに決まってる」
 憮然とした表情は、火傷の痛みなど簡単にかき消してしまう。横目はともかく、男は出来る限りさりげなく聞こえる言葉つきを作るのに苦心しなければならないほどだった。
「ツテがあって、良いのを仕入れてくれる。コイーバだろうがドミニカ産だろうが」
 相手の目が、背にした灰色の壁から分離するように鈍く光ったのを見れば、心はやっとのことで満たされた。
「紹介してやる」
「まずくないのか」
 尋ねる表情は、肯定とほとんど変わらない。唯一躊躇が残るのは片方だけがほんの少しつり上がった眉だった。口の中で紫煙の辛さを転がすようにして、言葉はこぼれ落ちる。
「正規じゃない?」
「それがどうしたんだ」
 男は肩を竦めた。
「そんなこと、いちいち気にしていたら何もできない。だろう」
 彼は答えなかった。とっくの昔に半分を切っていた自らの紙巻きを汚い灰皿へ押しつける。男は悠然と答えを待ちかまえた。彼の逡巡の理由などどうでもいい。表通りに受け取る気などさらさらなかった。


 一際濃く上がった白いゆらめきが消えたとき、見えた頷きは後ろめたさなど呆気なく脱ぎ捨てていた。
「それもそうだな」
 腕の時計を掲げる仕草はわざとらしい。そんな仕草に対しても、慈悲と余裕を以て頷くことができる。先ほど彼が見せたものとそっくりそのままに。

 もちろん、相手が他人のどんな反応も簡単に受け流し、平常心を保つことを知りながら。事実、きびすを返した相手の表情には、ここへやってきたときと何が違うのか分からない、退屈さと安堵の混じった表情が浮かんでいた。
「今度ディナーでも」
「出来たら近いうちに頼む」
 男は答えた。
「春は仕事が増える」
 意味を理解したのか、彼の唇に刻まれたのは、はっきり似非笑いだと分かるものだった。
「秘書に連絡させる」
 それまでに、エンポリジャを一度訪れておかなければ。ふと思い浮かんだのは、近頃すっかりワーカーホリック気味の妻の顔だった。化粧が濃くなったのは疲労を隠すためか年齢をごまかすためか、それとも。
 とにかくここ数ヶ月、彼女と二人きりで夜の時間を楽しんでいないのは大いなる失態だと言って良い。今日帰宅したら、肩を抱いて誘ってみよう。子供たちもいい加減、ベビーシッターのいる年齢でもないのだから。

 想像できる顔が喜びではなく呆気にとられたものであることが軽々と予想できるだけに、男は思わず苦笑いを漏らした。


 重い木製の扉を潜ると、一番先に出迎えたのはどんよりとした眼差し。傍聴席も陪審員席も一顧だにせず通り過ぎ腰を下ろした男へ、かつて大学で教鞭を執っていたという青年はもつれる舌で訴えた。
「見通しはありますか」
「何も心配する必要はないよ」
 強く叩いてやった瞬間に思わず後悔する。薬の影響を脱しつつあるというカルテの言葉が嘘のように、その肩は屍肉のようにぶよぶよと弛緩しているようで、今にも崩れてしまいそうな有様だった。
「君が病人なのは誰の目にも明らかだ。罪を償うよりも治療が必要だってことは、検察側ですら知ってることさ。明日からはまた、平和が戻ってくるよ」
 どんな依頼人にも掛ける確固とした言葉へ、この青年も縋りつきたいと考えているらしかった。淀んだ眼の奥で輝いているのは、控え目に取っても絶望としか思えない。力の抜けた体は恐怖とメタドンにとらわれ、全てを男に委ねるしかできなくなっていた。
「出来る限り背筋を伸ばして、いいね。完璧には無理だろうが、それが陪審員の同情を誘う」
 耳打ちしざま、すっかり準備を整えた検察席へ視線を走らせる。案の定、彼は厳格な無表情で、じっとこちらの様子を窺っていた。

 お決まりの手順だった。検事が余罪を引っ張り出す。こちらは罪を認める。しかし、いかにも知的で物腰の良い、心身共に弱りきった薬物中毒患者を刑務所へ放り込む気を12人の優しい男たちは起こさない。
 検察局が槍玉に挙げたいのは哀れな学究の徒の私生活ではなかった。糾弾され、新事実を突きつけられることで揺さぶりを掛けられるたび死んだ猫から這い出すようにして現れる、青年がかつて関わっていた人間たち。

 自らが手にしたものへ傷が付かないのならば、正義も茶番も甘んじて受け入れよう。視線へ応じるよう、男は身を乗り出した。
「ミスター・スピアーズ」
「何か、ミスター・ダニッツ」
 紙巻きの辛さを味わっていた舌が、流れるような丁寧さで言葉を紡いだ。
「手短にしろ。判事は低気圧性の頭痛で機嫌が悪い」
「大したことじゃないんだ」
 先ほど傍らの青年に投げていたものとは一転、自らを始め誰が見ても魅力的だと思える唇のカーブを瞬時に作りあげて言ってのける。
「『心神喪失だが有罪』の綴りはどうだったかと思って」
 動かない表情の奥に苦々しい笑みがあるのを確認してから、再び体を戻して木槌の音を待ち受けた。