素晴らしきケイタイ時代
<素晴らしきケイタイ時代>
平日の昼時、私は空席の目立つ明るい電車を降り、駅の階段をゆっくりと上って行った。
改札が近づく。
私は胸ポケットからケイタイを取り出しゲートに翳した。
無論ポケットに入れたままでもゲートは反応して開くはずだが、学生時代から二十年近く定期券を愛用してきた私としては、こうして何かアクションを取らないと落ち着かないのである。
周りでは私の行動に違和感を憶えたのか、幾人かの乗客が一瞬だけ私の手元を注視し、また何事も無かった様に動き出した。
ケイタイによる運賃支払いが普及した頃は私の様にいちいち取り出して翳す姿が見られたが、今ではすっかり少数派になってしまった。
同期入社のヤツなんかと一緒に外出なぞしようものなら「お前みっともないからヤメロよ」などと言われてしまうのだ。
そんな事を思い出し、苦笑いしかけたのを何とか噛み殺しながら私は駅を出た。
昼時のビル街は怠惰な空気が流れて、道行く人々は皆ゆっくり歩いている様に見える。
それぞれが周りの事など気にも留めずにケイタイの画面を覗き込んでいる。
あれでよく他人とぶつからないものだと感心しながら、私もやはり自分のケイタイを覗いているのだ。
それにしても近頃はケイタイもいろいろなカタチがあるものだ。
腕時計型やペンダント型、ヘッドセットとメガネを組合わせたもの等が現在の主流であるが、最近では皮下に埋め込んだ本体を視神経や聴神経に繋ぐモノまで出てきた。
ただ、生体電流によって駆動されるので、洋服や靴に仕込まれたケイタイ型の増幅器が必要になってしまう。それでもオペレーションが思考にリンクしている扱い易さから若者の間では急速に普及し始めているらしい。
つまり私の様なオーソ-ドックスな折り畳み型は今や殆どお目に掛かれないのである。
因みに我々の年代だと圧倒的にヘッドセット+透過型ディスプレイのメガメを組合わせたモノを使う人が多く、その上の年齢だと腕時計型を持つ人が多いらしい。
子供の頃に見たTV番組の影響であろう、と肩に小鳥のペット型ケイタイを留まらせた年寄りの評論家が勿体振って話しているのを思い出した。
と、知らぬ間に急ぎ足で歩いている自分に気付いた。
ケイタイのナビシステムに拠れば約束の時間の二十分前に着いてしまう。
内臓のPIMソフトはかなり進化して、ムダ無くスムースに得意先回りが出来る筈なのだが、染み付いた習性なのか、かなり余裕を持って移動しないと落ち着かない。
新しい顧客の居る高層雑居ビルの下でもう一度持ってきた書類を確認した。
無人の受付に寄る。受付システムにケイタイを出し顧客とのアポを確認する。私は円筒形のホログラフモニターに現われた性別不明の案内係りの示すほうへ歩き出した。
指定されたフロアでエレベータを降りると床にさりげなく埋め込まれた案内表示が私の行くべき方向を教えてくれた。
大袈裟な装置だと思ったが、一フロアに数十もの企業が入る最近のビルでは必要なのかもしれない。
顧客の事務所につくと私は近くにいたヒトに自分と相手の名を告げて取り次いでもらった。
面談スペースで待っていると相手は何とも無表情な顔で現れた。
近頃はどこに行ってもこんな顔で応対される事が多い。
画像電話で事前に話したときの笑顔はきっと電話機がエフェクトを掛けていたのだろう。
早速お互いのケイタイを差し出す。といっても同年代の相手のケイタイは例の眼鏡型である。手首のコントローラを操作すると、素通しのメガネの片方が黒く色づき直ぐにまた相手の目が表示された。どうやらモニタとの切り替えが調子悪い様だ。裏側には私のケイタイから送信された私の情報が映し出されているのだろう。
兎に角、ケイタイはお互いの認証を確認し昔で言う名刺情報を交換した。
事前にネットや画像電話でも情報は交換しているが、こうして直接認証を交換する事で今後のビジネスはより確かなものになるのだ。
ただ、初対面の時に交わすレベル:ワンの認証は本当にただの名刺に過ぎず、商売をするには最低でももう一つ上の認証を得なければならない。
だが、全くもって便利な世の中になったと言える。
こうして個人情報を交換しておけばグローバルホストで管理されているので、詐欺などと言う事は起きない。
ことの重大性によってはケイタイのネットワークが世界中から個人を追跡してくれるのである。
私は書類を拡げ、予め作成しておいた契約条項説明の音声データを相手に聞かせた。そしてチャット形式で質疑を行い、お互いに電子サインをしてそれぞれのホストに送信した。
こうしておけば後で言った言わないなどのトラブルはほぼ完全に回避できるのである。
私は本日最後の訪問先を後にして情報の整理の為に自社へ向った。
しかしビジネススタイルも随分変わったモノだ。
考えてみればさっきの訪問先でも私自身は殆ど何も喋っていない。
きっと、その方が楽だと思う人間が増えたのだ。
近頃では隣同士で座っていながらメールで会話をする恋人達も少なくない。
一日の仕事を終えた私は深夜と言うにはまだ早い時間に帰途についた。
都会から距離はあるが高速鉄道のおかげで通勤の苦痛は感じられない。
それよりも周りの環境の良さの方がよほど大事なのだ。
帰宅するとリビングの明りが点いたままになっている。
妻が私の帰りを待っていてくれたのだろう。
小学生の息子はとっくに寝ている筈だ。
すりガラスのドアを開けると妻はダイニングで私の食事の反対側の椅子で自分の腕に顔を乗せ静かな寝息を立てていた。
食事の一部は電子レンジに入っているのだろう。
リビングのTVがつけっ放しになっていていて賑やかなバラエティ番組が終わったところだった。続いていつか妻が好きだと言っていたドラマが始まると告げている。
私は自分の食事の用意を整えながら、直ぐに起した方が良いか考えた。
そして寝ている妻の頬にキスをすると、脱いだ上着の胸ポケットからケイタイを取り出した。
いつからだろう、こうして妻と話すのにさえケイタイを使うようになったのは。
送信ボタンを押すと妻の手の中にあるケイタイから無粋な振動と共に私の着信メロディが静かに流れた……。
おわり
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ヒトとまともに話が出来なくなる。
そんな時代が来るような気がします。
いや、しないかな?
このハナシ、ワタシ的には帰宅してからの部分だけでも良かったんですが、時間が有ったのでダラダラを前置きを足してみました。ちと間延びしたような気もします。
インターネットや携帯のメールは気軽にコミュニケーションをとれる手段で、ワタシにしてもPCの前では口をついての喋りよりも余程饒舌にハナシをする事が出来たりします。
でもやっぱり直接ハナシをするのが一番なのですよね?
最近、人間らしい会話ってしてない気がする・・・。
2004.04.28
作品名:素晴らしきケイタイ時代 作家名:郷田三郎(G3)