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いつかは別れようと

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『いつかは別れようと』

 独り身でお金持ちのX氏は女に不自由したことがない。それゆえ、近くにいたものの、どこか子供っぽくて、実際、二回りも年下であるY嬢を女として見たことは一度もなかった。それにY嬢の父親とは古くから知りあいでもあっから、なおさら女として見ることはなかった。ところが、X氏はそのY嬢と関係を持ってしまったのである。
 
雪の降る夜のことである。
大雪で電車が止まり、たまたま夜遅くまで一緒に仕事をしていたX氏とY嬢は同じホテルに泊まるはめになった。
 夕食後、ホテルのラウンジで一緒に飲んだ。
「私が幸せそうに見える?」
 Y嬢がX氏に問いかけた。
「もちろんです。何もかも恵まれているでしょ。恵まれた家庭。すばらしい両親。あなた自分も美人で学業も抜群。一点の曇りもない。あなたにどんな不満があるんですか?」
 Y嬢は微笑んだ。
「ときどきあなたが羨ましいと思うことがあるの。あなたは私と正反対。貧しい家で生まれ、そして若いときに二親を亡くした。決して恵まれているとは言えない。……」
「それは褒めているんですか? それとも貶しているんですか?」とX氏は話を遮った。
「あら、気になるの?」
「少しは」
「でも、どんなふうに言おうと、私みたいな小娘の話など、あなたの心に影響を与えないでしょ?」
「もちろん、若い娘の発言に動揺するほど若くはありません」
「違うでしょ。温室の中で育った私を世間知らずと見下しているでしょ」
「ずけずけと言うところは好きですよ。まさに美人の特権ですよ。何を言っても許される」
 X氏は哄笑した。
「でもね。私は人が思っているほど幸福とは思わない」
「どうして?」
「駕籠の中の鳥と一緒だから」
「駕籠の中が嫌ですか? 駕籠の中は幸せな環境ですよ。世間の厳しさを一身で受けてみて御覧なさい。野良猫のような生き方でなければ生きていけませんよ。飼い猫と違って、常に周囲の見えない敵に注意を払い、いつ襲われるかと怯えながら生きるのです」
「猫の生き方に詳しいのね」
「多少ね」
「そういえば、人間の形をした猫もたくさん飼っていると噂ですけど」
 Y嬢は微笑んだ。勝ち誇った顔だ。しかしX氏はひるまない。何もなかったように泰然と構えている。
「噂です。それも滑稽な噂……他人の根も葉もない噂話は楽しいものです。他人の不幸は蜜の味と言うでしょ。人は何事も面白おかしく話をするものです。私はハイエナどもに恰好なエサをまいているようなものです。ハイエナどもは我さきに貪ります。面白おかしく脚色して話をでかくする。あなたから見ると、さぞかし不謹慎極まりないオスとして映るでしょう」
 X氏はじっとY嬢を見つめた。
 Y嬢は顔を伏せた。今まであからさまにじっと見つめられたことはなかったから。
「いいですか。他人の言うことを真に受けてはいけません。真実のかけらもないのです。よく言うでしょ“幽霊の正体を見たり、枯れ尾花”と。あれと同じですよ。僕のことなんかどうでも良いでしょ? 『本当に幸せじゃない』おっしゃるのですか?」とY嬢を見つめた。
Y嬢は今にも泣きだしそうな顔をしたら、X氏が豪快に笑った。
「幸せって何ですか?」
「難しいことを言いますね。シンプルな質問ほど簡単に答えられないものですよ。でも、あえて幸せというものを定義するなら、笑えることかな」
X氏は酔っていた。小娘の質問に真面目に答えることなど考えていなかった。
「そうですよね。私の家、誰も笑わない。というよりみんなばらばらで食事します。独り暮らしとさほど大きく違わない。父はいつもぶすっとしている。そんな父が好きでないのか、母は若い男と不倫している。妹は男にだまされてばっかりで心が壊れています。最近は気に食わないことがあると、何かにあたって壊します。こんな家庭に幸せはありますか?」
「君はどう思っている?」
「幸せでは無いと思っています」
 X氏は笑った。というのもY嬢の父親は少なからず知っていたからである。たいして賢くないのに賢いふりをして自慢話ばかりしている。それが偽りの仮面だということをずっと前から知っていたが、あえて否定はしなかった。それに、まともに会話をしたためしがない。仕事での付き合いがなかったら、とっくの昔に絶縁していただろう。父親と同じDNAだから娘も同じだろうと高をくくっていたら、違っていた。X嬢はどうみてもトンビがタカを生んだという類だ。美しい顔、すらりと伸びた背、そして豊かな乳房。そのうえ賢い。
「家庭がどうであれ、君ほど美しかったら、きっとたくさんの男が寄ってくるだろう。女の幸せは男しだいだ。いい男が君を幸せに導いてくれる」
「その良い男と一度も会ったことがないんです。みな体を目当てのろくでなし」
「そのろくでなしという男はどのくらいいた?」
「え、そんなことが恥ずかしくて言えない」とY嬢は笑った。もうずいぶんと酔っている。思ったよりもお酒が好きなようだ。
「五人くらいか?」と鎌をかけた。
「そのくらいかな」とY嬢は照れた。
「今はいないの?」
「もう若い男はこりごり。だから独りの方がいい」
「ずいぶんと寂しいことを言うね。若い男がこりごりなら、もう少し上の人と付き合ったら」
「おじさんみたいな人?」
「幾らなんでも、僕は無理だろう」
「そんなことはないですよ」とY嬢はX氏の肩に頭を乗せた。
「私、酔ったみたい」と頭を彼に乗せた。
 ――それからである。二人が浅からぬ仲になってしまったのは。
 
物事は始めるより終わらせる方が難しい。X氏は、いつかは別れようと思いながらも逢瀬を繰り返している。会ってY嬢の柔らかな乳房に触れると、別れの決心が萎えてしまうのだが、しばらくすると、また別れようと思う。その繰り返しだ。



作品名:いつかは別れようと 作家名:楡井英夫