18,D.IK日記(12月28日)
恵ちゃんと手話で話をした。
“こないだの絵すごかったよ”
“ありがとう。あなたのために描いたの”
“うれしいよ。ありがとう”
“あの絵、あなたにあげるわ”
そしてしばらくするとPTの馬込さんがやってきて、絵を持ってきてくれた。
「椎名君。はいこれ、恵ちゃんから、よく描けてるねえ」
「ありがとうございます」
しばらく絵を眺めていると、同じ部屋の一人のおじさんがやってきて、
「いんや、いんや、いんや。この左上の男の子。震災の子でないの。こないだ亡くなった高倉健が大事に持ってた写真の」
僕が、
「ええ、そうです」
そう言うと、
「よぐ描けでるこど」
そのおじさんは少しなまっていた。
「俺も石巻からきたの。避難所で暮らしていたのさ。そんでもって病気になってしまったのよ」
「はあ」
「震災の時は大変だったのさ。あなた達には分からないだろうけど」
「ええ」
「みんな国中が絆、絆って、祭り騒ぎしてたけどね、その時テレビで震災の義援金がこんなに集まりましたっていっても、物資は届いてなかったのさ。食べるもんがなかったのよ」
「そうなんですか」
「瓦礫片づけにボランティアの人が来るけど、そったらことしても、何にもならないのさ。食べ物が欲しいのよ。でもいろんな人がテレビで絆って言ってお金送ってくれるし、それは助かる可能性に繋がるから、妙な気持だったけど何も言わずに、物が送られるのを待ってたっけ。でもちっとも来なかったっけ。足りなかったのさ。震災のブームで一時祭り騒ぎになって、みんなもう今じゃ援助しなくなっても、オラ達の傷は残っているのよ。オラ達のローンの10分の1でも出してくれる?出せないでしょ。オラね。子供が食べられなくなるから自分はほとんど食べなかったけど、盗みしたのよ。嫁は流されたし、一歳の赤ん坊がいるから、すぐに列に並べなくて、食料もらい損なって、もう一人も6歳の子供がいるけど、その子の前で盗みしたのよ。その子は父親が盗みした事多分、分かっているっけ。人の道に外れる事、子供の前でしたのさ。余裕のある人には絆のブームに乗れたかもしれないけど、オラ達心の弱い人間はずっと苦痛だった。昨日仙台出身の羽生結弦が、怪我から復帰して優勝したけど、光だけじゃないのさ。子供の前でこんなの見せたくなかった。震災のブームが過ぎても、その子の記憶は一生残るのさ。それが震災ってもんだっけ。それが津波ってものなのさ」
「そうですか」
ぼくはただ心を痛めながら、聴く事しかできなかった。無念だけど。
作品名:18,D.IK日記(12月28日) 作家名:松橋健一