7,D.I.K日記(12月20日)
幼いころの記憶。東京から横浜に引っ越し、幼稚園に通った事。横浜と言ってもそこは田舎でみんな僕より幾分、粗野でぶっきらぼうで、図々しくて、そんな感じを受けた。
砂場遊びは最高の魅力だった。でも僕は一切やらせてもらえなかった。いつも水汲み当番だった。幼稚園の先生から水汲み当番の順番は決められていた。でも誰が当番になってもその人は僕に、
「お前水汲みやってくれるよな?」
そう威圧的な態度で言ってくるのだ。
―――泥んこ遊びをしたことがない子供―――
否定的なニュアンスが使われる事がある。
でも好きでそうなったんじゃない。幼稚園の中の法を守らなければ、誰かが泣く者がいる。法を破る事の理不尽さを幼いころ体で覚え、泥んこ遊びをやらされていない僕は泥んこ遊びのような事は自分はしてはいけないと思春期のアイディンティティに深く根付き、日本国憲法を掲げ、国語の西城を非難するのも僕には絶対譲れない衝動だ。
まるで西城や釜本が思っている事が聴こえてくるようだ。
“そんな秩序とか決まりとか固く考えないで、ラフに物事を考えなさい”
ふざけんな。そんな理屈とうに分かっている。お前ら僕の人生を知っているのか。今更アイディンティティは変わらないんだ。
釜本さんの言っている事が分かる様になりました。そう分かってくれた?素敵よ。成長した証だわ。――そんなヘドの出る茶番劇でも想像してるつもりか。物事はそんな単純にできていない。あれもこれも矛盾だらけ。
僕の中の悪魔と天使。
悪魔がいて天使がいる同様に天使がいて悪魔がいる
悪魔が一人で泣かない様に
天使が一人で笑わない様に
天使と悪魔が愛し合う世界
そこにはきっと「LOVE」が必要で
争い合って笑いあって
僕らは幸せを見つけてくんだね
あっ、また女性の閉鎖病棟にあの女の子がいた。こっちを見ている。じっと見ている。また去ってしまった。綺麗なマドンナの様な女の子。あの子は一体?
作品名:7,D.I.K日記(12月20日) 作家名:松橋健一