鎌倉古道を歩いて
タイトルをご覧になり、おやと思われた方もいらっしゃるのでは?
残念なことに、実際に歩くことができれば良いのですが、
現在、お金も時間もない私は、紀行番組を見て疑似体験しただけです―笑
先日もブログでご紹介した図書館貸し出し専用のDVDを昨夜、見ました。
例の寄贈本を持参するついでに返却もしたいし、到着した予約本も受け取ってきたいし。
返却ぎりぎりになって漸く見ました。
見て良かったと思いました。
これはタイトルどおり、鎌倉七口切通といわれる史跡でもある古道を
実際に歩いてみたドキュメンタリーです。
カメラが歩いている人の視点で撮影しているので、あたかも視聴者も
本当に古道を歩いているような錯覚になります。
昨夜は七切り口の中でも代表的な朝比奈切通と大仏切通の二つの道を
歩きました。
ところで、切通というのは人工的に作られた道です。
かつてはるかな昔、鎌倉時代には実際に多くの人々や物資がこの道を
列をなして行き交ったようです。
説明によれば、源頼朝が安房国で平家打倒の挙兵をあげ、
石橋山の戦いで惨敗した時、側近の千葉常胤が安房国は
守りがしにくくて攻められやすい。
いっそのこと攻められにくい地形が天然の要塞になっている鎌倉を
本拠地にしてはいかがでしょう。
と進言したことから、頼朝は幕府を鎌倉にひらいたそうです。
そして、そのときに人口の道を造ろうと決意したとか。
それから八百年を経た今でも、切りひらいて作られた岩肌の壁には
当時、岩を削った鑿ノミの跡が残っているそうです。
ナレーションでも語られていましたが、
はるかな時を経ても、今なお現代に昔の痕跡をとどめるのは不思議な感覚
ですね。
ある切通を作るときは、執権北条泰時自らが工事の遅れを気にして、
馬で岩石を運んだと記録にも残っているそうです。
当時の鎌倉の様子を描いた歴史的資料 吾妻鏡アズマカガミには
新興の武士の都である鎌倉の賑わいが生き生きと描かれているそうです。
最新作は奇しくも鎌倉が舞台の歴史ものでした。
北条泰時も出てきました。
だからなのか、自分が描いた人物がかつてこの切通を通ったのだと
思いつつ古道を歩いて(疑似で)いると、不思議な浮遊感のようなものに囚われました。
歴史に魅せられる理由としては、人それぞれだと思います。
私はかつて昔の人が通った歩いたこの道を
はるか後の現代に生きる自分もまた歩いている―、そのことが不思議で
なりません。
そして、昔の人がここを通った時、何を考えていたのか、
どのような想いでこの道を辿っていったのか。
そんな風に想像してみます。
ナレーションの受け売りではないけれど、
趣のあるこの古道を歩いていると、あたかも八百年という時間を遡って
いっているような気がする。
まさにそんな心境になります。
私は勉強もさしてしていないし、研究家でもないで、自分の興味のあることしか
知りません。難しいことも判りませんし知りません。
それでも、昔の人が自分の同じように泣いて笑っていたのだと考える時、
今、自分が歩いている道をはるか昔の人も同じように歩いていたのだと考える時、
そこに流れた時間を感じます。
その流れた時間こそが歴史なのだと思います。
そして、過去の時代が今へと繋がっているのなら、
歴史は単なる昔のお話なのではなく、『現実に生きた人々の物語り』なのだ
思います。
そこには、歓びも哀しみもあったでしょう。
怒りももちろん。
今と変わらず、誰もが精一杯に自分の人生を生きていたに違いありません。
私にとって歴史は単なる絵空事でもなく架空の出来事でもなく、
生身の人が築き紡いだ壮大な人生という物語りです。
歴史に名を残した人も、残さなかった人も、
すべての人が懸命に生きた人生、たくさんの人生がおりなす
一枚の大きなタペストリー。
とでもいえば良いのでしょうか。
いつか時間ができたら、そのときは是非、この鎌倉切通を今度は自分の足で
本当に歩いてみたいものだと思いました。