森に棲む男
雨の音を聞きながら、おれたちはいつまでも身を寄せあってじっとしていた。
『見ろよ、博士』
兵士のひとりがいって、博士と呼ばれた男は顔を上げた。強力な紫外線から体を守る防護服は重く、身動きするには不便だった。ぎこちない動作で崖を上り、しめされた箇所にちかづいた。
兵士たちが取り囲んで観察していたのは人間の死体だった。かなり前のものらしく、干からびてほとんど本来のかたちをとどめていなかった。
『やれやれ。どうやら化け物が出るって噂もあながち間違いじゃないらしいな』
『まだわからないぞ。獣かもしれない』
リーダー格の男が用心深くいって、再び先に立って歩きはじめた。窘められた部下は首を窄めて後につづいた。ほかの部下たちもそれぞれに銃を携えて武装してはいるが、本気で仕事に取り組んでいるようには見えなかった。
『こんなの馬鹿げてるぜ。くだらねえ迷信なんか信じて。付きあってられねえよ』
小さな呟きを無視して、博士は屈みこんだ。ミイラ化した死体をじっくりと見つめる。木と石でできた拘束具が左足に絡まっている。おおかた地元の若者が面白半分に森に入って罠に嵌ったのだろう。動けずにもがいている間に朝がきて、日光にやられてしまった。
即席の拘束具は歪だったが、それなりによくできていた。はるか昔の手法ではあるが、現代文明にちかい仕組みも取り入れられている。
『気をつけろ。まだ罠があるかもしれない』
博士は声を張り上げたが、兵隊たちは一笑に付した。
『旧人類の末裔がおれたちを待ち構えてるってのかい。恐ろしいね』
防護服の内側で博士は顔をしかめた。彼らはなにもわかっていない。
『口のききかたに気をつけたまえ。わたしは注意を払うようにと忠告してるんだよ』
『そっちこそ、あんまり調子に乗るんじゃねえぞ』
まだ若い兵士は防護服をがちゃがちゃいわせながら博士に指を突きつけてすごんだ。助手の若者は怯えて博士の後ろに隠れている。
『人類学の権威か知らねえがな、おれたちにいわせれば、あんたはただの変人だよ。何百年も前の人類が生き残ってると本気で思ってんのか?』
たしかに、可能性はすくないが、ゼロではない。研究に研究を重ね、ある程度の確信を持っていた。しかし、彼らにそれを説明する気にはなれなかった。どうせ理解できはしないだろう。
『おい、なにしてる』
リーダーの声に、若い兵士は舌打ちして博士から離れた。踵を返して歩きはじめる。数歩いったところで、小さな音がした。博士ははっとして叫んだ。
『動いてはいかん!』
『なんだって?』
兵士が振り向く。つぎの瞬間、爆発が起きて、兵士の下半身は吹き飛んだ。
唖然としている兵士たちがつぎつぎに倒れていく。物音はほとんどしなかった。博士は助手とともに頭を抱えてその場に伏せた。目の前に兵士の死体が転がる。細長い棒のようなものが防護服を突き抜けて眼に刺さっていた。
がなり声と銃声。永遠につづくかのようだった。しばらくしてリーダーの男が撃つのをやめるよう叫び、ようやく森に静けさがもどった。しかしそれはほんの一瞬で、すぐにまた叫び声が交錯する。
『どこに行った?』
『ぐずぐずするな、追え!』
博士は恐怖をこらえて頭を上げた。気づくと周りは死体だらけになっていた。助手はまだ泥に顔を圧し付けて悲鳴を上げている。彼を置いたまま、兵士たちについて走り出した。
行き着いた先は深い洞窟だった。その奥で、小さな影が丸くなっている。
博士は兵士たちを押しのけて前にすすんだ。にわかには信じがたい光景が目の前に拡がっていた。
木を燃やして火を焚いた跡。その横に、男がうずくまっている。男だとわかったのは、頭のなかの研究資料による知識からだった。その姿は、今現在生存しているどんな生物ともちがっていた。
『彼が伝説の“森に棲む男”だったんだ』
『こいつはいったい……』
兵士のひとりが呟いた。さすがに声が上擦り、震えている。
『人間だよ』
博士は答えた。ようやく見つけた真実に直面しても、不思議と興奮はなかった。
『これが人間だって?』
『わたしたちの祖先だ。何世紀も昔から、この姿だった』
『ちがうな。よく見てみろよ。人間じゃないぜ』
いわれなくてもわかっていた。半分なくなった頭部からは人工的な無数の管が飛び出し、かすかな火花を散らしていた。肩や腹、足にも銃で撃たれた傷があり、そのどれもが人間にあらざる様相をしていた。
『アンドロイドだ』
『旧人類がつくったのか?』
博士は首を振ることで無言の否定を返した。旧人類にそんな技術がないことははっきりしている。かといって、最新のアンドロイドほど精巧なつくりもしていない。おそらく、人類が急激な進化を遂げたといわれる時期よりもあとにつくられたのだ。理由はわからない。今こうしているように、旧人類を探し出し、検体として手に入れるために精製されたスパイロボットだろうが、それがなぜここにこうしているのかという説明はつかない。すべては推測にすぎず、唯一の証拠であるアンドロイドが破壊されてしまった今となっては、真実を知る手段はどこにもない。
兵士のひとりが恐る恐るちかづき、動かなくなったアンドロイドの体を持ち上げて引っくり返した。その顔は泥や火薬で汚れ、銃撃を受けたせいで顔の半分を失っていたが、残された片眼は大きく見開かれ、美しい青色の瞳が博士を見上げていた。
博士はその瞳から目を逸らし、彼の体の下にあったものを見つめた。白骨化してほとんどばらばらになった死体。アンドロイドはまるで体を張って守ろうとするかのように、その上に覆い被さって死んでいた。
『これは……?』
『それこそが旧人類だ』
博士は確信を持って告げた。彼らのものともアンドロイドのものとも異なるその見事なかたち。見たところ、目立った外傷はなく、死因は病気か老衰だろうと思われた。博士は地面に膝をついて骨を眺め、再びアンドロイドに視線を向けた。
『彼を守りつづけてきたのか。数百年もの長い間ずっと……』
深い湖の底のような青い瞳。“森に棲む男”の悲しい眼が、いくつもの触手がまとわりつく博士の老いた顔を映し出していた。
おわり。