私の騎士(ナイト)
名前はナイト。出張の多いお父さんが決めた。私の騎士になるように、だって。くさいよね。
だから散歩とご飯は私の係で、お母さんはノータッチ。お母さんに代わってもらいたいときもあるけど、お母さんは私が不満そうな顔をすると決まって、私のナイトはお父さんだもの、なんて惚気るから何もいえなくなる。
いいもん、別に。ナイトはたまに悪戯するけど、ちゃんと私に懐いてくれてるもん。
夕方過ぎになると散歩に行こうと尻尾を振って訴えてくるし。
でももしかして、これは私の散歩のつもりなのかな。
たまにそう思わないでもないけれど。
暗くなり始めた街を見るのは好き。
流行の歌なんか口ずさみながらナイトに引かれて歩いてると、何だか世界には私とナイトしかいないような気になってきて楽しい。
時折通り過ぎる車のヘッドライト。漂う晩御飯の匂い。全てがぼんやり異世界な感じ。年を取ったらこういうのを懐かしいって言うんだろうな。
なんてぼんやり歩いていたら、ちょっと離れた暗がりに人影を見つけた。
思わずドキッとするのはこんなときだ。変質者の噂は絶えない街の中。声を上げれば人はきてくれるだろうけど。
けどやっぱり怖いものは怖いよね。ナイトを引きずって急いで離れようと歩きかけたとき、こんばんは、と声がかけられた。
……なぁんだ。お隣のお兄さん。
ほっとすると共にちょとだけドキドキし始める私の心臓。
寡黙で真面目で誠実そうで、私はこのお兄さんがちょっと好きだった。けれども年の差五つは大きくて、憧れどまりのドキドキ感。
今日はなんだか顔色が悪いけど、暗いせいかな。思いつめてるように見えるのも気のせい?
近づいてくる影に、こんばんは、と返したところで、急にナイトが激しい勢いで吠え出した。
お兄さんがびくっと顔をそむける。
私はもう申し訳ないやら恥ずかしいやらで、ごめんなさいと頭を下げながら慌ててナイトを引きずってお兄さんから離れた。
なんなの、ナイト。あんたはお兄さんと仲良しだったくせに。
どうしたんですか、も、どこかにお出かけですか、も、何にもいえなかったじゃないの。
悔しくってナイトを軽く蹴ったら、ナイトはうぉう、と低く吠えた。
抗議してるんじゃなくて注意を促されたような。
そんな気がして私はナイトをまじまじと見下ろしたけど、ナイトは私を無視してさっさと歩き始めてしまった。
まってよ、と追いかける。引き紐で手が痛いんだよ。
もういつもどおりの散歩風景。
お隣がちょっと慌しいなって思っただけ。
次の日、お母さんからお隣のお兄さんが亡くなったことを聞いた。
交通事故だったんだって。
私が道でお兄さんと会ったそのとき、お兄さんは集中治療室に入ってたんだって。
お通夜に行ったら、お隣のおばさんがこっそり手紙をくれた。
私宛の、お兄さんからの手紙。
切手がないから、出すつもり、なかったんだろうな。
家に帰って急いで開けたら、中にはたった一言だけ。
「君をとても大切に思っています」
隣でナイトが小さく、うぉう、と鳴いた。
ねぇ、ナイト、あんた知ってたんでしょう。
私の気持ちも、お兄さんの気持ちも。
そしてあの時お兄さんが実体じゃなかったのも、どうして私の前に現れたのかも。
私も何となく分かったよ。死ぬ人間は心残りを死後の世界に連れて行きたがるって、この前テレビで見たもん。
手紙を手に握り締めたまま、私はナイトを抱いてちょっとだけ泣いた。
私とお兄さんのことを想って、ちょっとだけ泣いた。
お兄さんがいなくなったことを泣くのは明日のお葬式にするけど、今だけはあったかもしれない未来のことを考えて泣きたかった。
ナイトは黙って私のするがままになってて。
最後にぺろりと私の涙をなめた。
お兄さん、私もお兄さんに好きだっていえたらよかった。恋に育てることも出来ないまま、恋人にはなれないよね、なんて諦めてるんじゃなかった。お互い様の消極性。切手を貼る勇気が二人共に欲しかったね。
私のこと、そんなに心残りに思うくらい深く想ってくれてありがとう。
でもどうか安心してください。
貴方が身を持って体験した通り、私の騎士(ナイト)は優秀です。