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バースデーケーキ

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その日はなんとなく、ケーキが食べたい気分だった。なので、私・藤原茜は親友の木ノ崎りなと一緒に、用事をほっぽり出して通学路をいそいそ歩いていた。
「ね、ねぇ茜ちゃん? 事務所寄って行かなくていいの、事務所」
「いいのいいの。そんなことよりケーキが大事よ。見なさいりな、取り出したるはこの、ケーキ割引券明日まで。駅前にある老舗のケーキ屋さんよ。老舗ってすごいのよ、だって伝統なんだから。潰れずに今日まで生き残ってるってだけで価値があるわ。きっとこの不景気にも潰れないほど、根回しと株の売り方がうまいのね。じゃなきゃあり得ないわ、いまどきケーキ屋が潰れないだなんて。ぜひともそのサバイバル感にあやからないと」
「や、ただ単にケーキが美味しいから生き残ってるんじゃないのかな……というかそれはもしかしてケーキを食べないといけない理由をこじつけてるのかな?」
 む、鋭い。我が親友・木ノ崎りなは、ぼうっとしているように見られることもあるが実はものすごく賢いことを私はよく知っている。それこそ、私なんてただの無力なおこちゃまなのだと日々実感させられるくらい。
「そうだ、聞いてりな。この前ね、麗美ったらね、なんと勝手に私の家に上がり込んでイビキかいて寝てたのよ。一体どういうつもりなのかしら。腹が立つから顔に落書きしてやったわ、漫画ペンで」
「えっと……あの、大丈夫? 血とか出なかった? それってGペンのことだよね……? あんまり無茶はしないほうが……」
 Gペンとは、「漫画家!」と聞けばイメージするような、あの先の尖ったインクペンのことである。
「大丈夫よ。Gペンなんて使うわけ無いじゃない」
「そ、そうだよね。いくら茜ちゃんでも」
「ミリペン」
「Gペンより細いよ! 細かい背景とか書くのに使われるやつだよ!」
「もちろん、麗美相手にGペンなんてヌルいもの使わないわ」
 明るくはしゃぐ帰り道。一人でないということがこんなにも楽しいことなのだと最近知った。りなとは、毎日一緒に学校に行って、毎日一緒に帰る。今年からの付き合いだけれど、もうずっと前からの幼馴染のように仲良くやっている。
 そんな私たちには秘密があって――
「そういえばりな、麗美に聞いた? 駅の近くの交差点で」
「ああ、出たんだってね。なんでも、顔がないって」
 思わず嫌な気分になった。顔がない? それは聞いていなかった。
「……そうだったんだ。えげつないわね」
「まぁねぇ。さすがに、トラック事故じゃ顔もなくなっちゃうよ」
 そうなのか。車なんて運転しない私には、よく分からない。
「どう言えばいいかな。自動車事故の威力から言えば、人間なんて豆腐みたいなものだから」
「豆腐……そりゃ、簡単に潰されちゃうわね」
 想像したくもない。けれど、こうやって駄弁る私たちのすぐ横、歩道の外だってびゅんびゅん車が行き交っている。歩道と車道の間には何もない。なのに別世界のように感じている事のほうが不可思議なのかも知れない。じっと、車道を見つめてみれば、やはり車は目にも留まらぬような速度で駆けていく。ここから四、五歩くらいふらふらと進めば、あっさりとその威力を思い知ることになるのだ。自分の身体の損壊によって。きっと簡単に死んでしまう。そんな事実も、毎日こうやって真横を歩いていれば忘れてしまうのが人間なのだ。
「……ま。毎日一分一秒怯えてたら、街で暮らしていけないものね」
「そうだね。でも、事故には気をつけないといけないね」
 ふむふむと頷き合って、二秒後には忘れて歩き出す私たち女子高生。次の瞬間には何のケーキを食べるか相談し合っていた。
「モンブラン!」
「あっ、いいよね、おいしいよねモンブラン。マロンクリームが素敵だよね。でも、いちごのタルトなんかも捨てがたいかなぁ」
「ふふっ、やるじゃないりな。いまちょっと想像してヨダレ垂れそうになったわ……」
 じゅるりと口を拭いながら、駅前ケーキに急ぐ。しかし、まだ結構な距離がある。歩くのも面倒だなぁなんて考えた折、横断歩道を渡ろうとした私たちの目の前に――――不吉が現れたのだった。
「君たち、駅まで送って行こうか?」
「え?」
「……はい?」
 それは、わざわざ私たちがいる道路脇に車を止めた、まったく知らないおじさんだった。車種は黒いクラウン。一瞬ヤのつく人かと思ったけれど、おじさんは車に似合わない、冴えない感じの、いたって普通のおじさんだった。白いポロシャツなんかを着ている。いかにも『やさしいパパ』という感じ。しかしまったく面識がない。
「この方向じゃ、駅の方だろう? まだ少し距離があるし、よかったら乗って行きなよ」
 まるで裏を感じさせない笑顔。それが逆に不安だった。誰だろうこのおじさん。どうして、私たちに声を掛けてきたんだろう。何が目的なのかまるで分からない。
「…………よく分かんないけど、個人経営のタクシーか何か?」
「まさか。お金なんていらないよ。君たちさえよければ、駅まで送って行こう。歩くのも疲れるだろうしね」
 なんて、世間話のように言ってくる。胸の中に不安感が渦巻き、目の前の現実が受け入れられない。まるで、乗せてもらうことが自然なことのような気がしてきた。なんだろうこのおじさん。本当に意味が分からない。
 と、不意にりながちょんちょんと私の袖を引いた。
「大丈夫だよ、茜ちゃん。乗せてもらおう」
「え――!?」
 あり得ない。急に、何を言い出すのかと思えば……いや、もしかして。
「りなの知り合い?」
「ううん、全然。まったくの初対面だし、知らない人だよ」
「はぁ!?」
 そうこう言っている間にドアが開いて、りなは勝手に後ろの席に乗ってしまった。奥に座って私をこまねいてくる。おじさんは変わらず裏表なく笑ってる。よくないこととは知りつつも、りな一人を乗せるのだけは駄目だと思った。
 りなは笑ってる。あまつさえ、「大丈夫だから」と頷いてきた。
「……うぅ……もう、なんだってのよ……」
 知恵熱出そうになりながら、仕方なく車に乗り込んだ。通りがかった同じ学校の生徒の視線が痛かった。
「………………」
 乗った。乗ってしまった。知らない人についてっちゃだめ、と麗美やおじいちゃんに強く言われていた気がする。何やってんだ私。どうにかタイミングを見計らって、面倒事になるまえにりなを連れて逃げるべきだろうか。私の目は、運転席のサイドブレーキに釘付けだった。なのにおじさんは揺るぎない。
「いやあ、今日はいい天気だね。こんな日に駅まで歩いていたら暑いかもしれないね」
 私は、りなの制服の袖をぎゅっと掴んでいた。子供のようだとわかりつつも、不安だった。なのにりなは平常運行なのだ。
「そうですね。駅まで、微妙に遠いですし。乗せてもらえてラッキーかも」
「ははは。それはよかった。うん、駅なんてすぐに着くよ」
 おじさんは、前だけをみて運転している。おかしな素振りは何もない。ただ、私はこの異様な空間が嫌だった。会話しているけれど、静かで、音楽だって鳴ってはいない。自動車なのにラジオも掛けないのだ。
作品名:バースデーケーキ 作家名:廃道