『 MOKUROMI-KYO ~目論見教~ 2(続き)』
高い身分の者は低き志を褒め称え、低い立場の者は高き志を目指す。つまりは高い者は低い者を煽てて木に登らせ、墜落させた後に何もない土地に生えていたはずの木を探す訳だが、低い者は木に登ることしか考えず、地面を掘り進むこと等しないのではないかと私は考えたのである。折り合いが付く金額を得ながらの活動は、不満のあるものではなかったが特に満足する程の額でもなく、私達はやがて自分たちだけの国を得たいと望むようになった。元手を得るには犯罪しかない状況ではあったが、正当な理論と仕事のみが、正当な評価を下される世の中であることに関しての争いが常に生じていた。
営利のみを追求する方式では争いが殺し合いに発展しかねず、関わる者全員が絶滅する恐れがあった。何しろ、妖怪どもから金をせしめ、しかも非営利団体として時代に貢献する隠れ蓑を皆で作ろうという計画である。宗教法人の認可を得る以外、他に方法はない世の中であったし、非認可のまま活動を続けることは殺し合いの末の結果と同様になると踏み、国の許容範囲と私達の許容範囲とで折り合いが付く方法であった。
しかしながら、国の認可は国からの金銭面の援助を得るためであり、私達の考えから生活全てを監視され指導されるつもりは毛頭無かった。高齢者を妖怪と呼び替えるまでには10年間という時が必要だったが、私にとってはなかなかに辛い選択を強いられたことになる。国の援助を受けながら、国を建てることは当然のことながら不可能なことであり、望む者は皆、妖怪との共同生活という厄を取ることにより叶えられる夢となった。目論見教が発足してから、妖怪は大切に扱われるようになり、私はそれにより老後を目の前にして創始者との位置付けを戴いたという訳である。
当時は、コンピュータと通信網が発展し、何もかもが薄く軽く変化を遂げた時代でもあり、妖怪との生活が無ければ、私もまた人間らしさを取り戻せなかったのではないか、と考えている。同じ感覚を持つ人間同士が集い、志を同じくし、退治すべくも共存すべくも教理の中で決定し、自分達の過ごしやすい環境を作り出すことは難しいことではなかった。憎むべき対象や倒すべき標的が自分達の中に居ないという安堵感が平和を生み出し、妖怪達は妖怪達で同じようであった。信者は、一人また一人と増え、妖怪という存在を守ることだけで、目論見教は発展していった。心を平安にするために妖怪を利用し、社会的制度を利用し、やがて自分達も利用される側へ回るという、納得できるシステムとサイクルを教理に組み込み、私達は冷戦を乗り切ったのである。
次章では、私と同志の逃避行と10年間の戦いについて、書くことにする。
作品名:『 MOKUROMI-KYO ~目論見教~ 2(続き)』 作家名:みゅーずりん仮名