『 MOKUROMI-KYO ~目論見教~ 1.』
私は、手を離した。
泉の中のその木は既に、沈黙している。
だが、確かにその葉は私に語りかけ、私は小高い丘に登った。
丘の頂きは山であり、下る道は幾つもあった。
お山の大将とは、誰が作った言葉か知らないが、どんな山でも頂は存在するのである。私は、初めて感動したような気がした。
しばらくして、私はその土地を去り、木が放った言葉の意味を知ったのは後のことであった。もし、あの時の神様がどこかにいるのなら、聞いてください。
「頂きに上れよ」の意味を履き違えていなかったか、教えてください。
私は今も迷っていますが、以前のように道にではなく、選択へと変わっています。
私は、それが宗教の始まりなのではないかと考え、再び手を合わせた。
手の平から自分が逃げてしまわないように。
もう一度、古の魂が抜け出てしまわぬように。
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殺しや虐待、犯罪被害のない国など存在しない。
事実、犯してもいない犯罪をどう理解せよと言うのか。
経験値の中でのみ、人は悟りと教えを開くのではないか。
宗教とは、あらゆる種類の人間があらゆる経験値を持ち寄り、生きる集団である。
集団として認識される人々が知恵と勇気を持って集結し、人生論を打つ者の言葉に生き語る場が提供されている。親が祈って止まない神と集団を否定することは、親と私の人生を全否定することと同じだ。しかし、問題は親が犯罪者の子として育ったという事実と、宗教という国の中にのみ光を見ることの出来る人であったことだった。私は、学生時代を遠い日の記憶とし、今また求める集団と心の拠り所として宗教を求めたが解答は常にそこに在り、意味もない解答集を手に立ち尽くしていた。
問題と解決には、マニュアルが果たして必要なのであろうか。
例えば神様と言われる客が、大変な犯罪者だとしても、謝罪と菓子折は必要なのか。
例えば、善意から出た寄付金が、善な用途に使用されることは犯罪ではないのか。
例えば、悪意から出た売上げが、悪を沈めたとしても犯罪であるのか。
例えば、誠意から出た言葉が人を傷つけたとしたら、犯罪であるのか。
例えば、周囲から出た言葉が人を死に追い詰めたとしても、犯罪ではないのだろうか。
私は現に、目論見教徒として30年間働き、今では創始者という名を戴き生活している。
しかしながら、目論見教は私が創始したものではなく、神が命じた道であったと私は考えている。それに従わず背を向けることは、私にとっては、基督教的な考え方で言えば悪魔の道を行くことと等しい。
何にせよ、目論見教の成功は只、“人が人らしく生き、死ぬにはどうすべきか”を極めようと考え、悩んだ同士が多く存在したことによるのである。私は、犯罪者という汚名を着せられながら犯罪被害しか経験値を稼ぐことの出来ない人生道を与えられ、平和主義を貫くことが許されなかった。それに対する答えは国が持ち、頓知と頓珍漢を使い分ける術は経験値と共に取得していった。
犯罪者として暮らし始めてから目論見郷の中に住み、しかしそこは当然のことながら理想郷ではない。理想に燃える男性も女性も全て排除し、殺し尽くす集団から逃げ、更に新しい人生も与えられることは無かった。私は、経験値すべてと道の全てを捨てる覚悟は無く、敵と自然と攻撃に耐え、死までの道を整えることに貢献する他無かった。
目論見教を創始した時の話を求められることは多いが、思い出すのはお山の大将が鼻を地面に付けた天狗話のみである。信じられぬ物事だけが信じられる真実であり、今はもう私の存在など必要のない時代となった。だが、人生はおそらくそういった事実が存在することに対する許容範囲を広げることなのではないか。心を開くとは、球体を切り広げることに等しいが、蓮っ葉な人生を極める人として生きる必要は、果たしてあっただろうか。
私が筆を執った理由は特段、特別なものでは無く、人が雑魚である理由と神が神である理由を私が知る機会に恵まれたからであり、正しいか誤っているかは関係ない時代に生きている。私は人・神をよく知らず、しかし彼らからもたらされる益と害を検証することだけに一生を費やすことになった。神を知る者は神しかおらず、人が語ることは処刑に値する時代もあったが、言論の自由を謳う現代では人が神を語ることも許されている。
次章では、目論見教がどのようにして発祥し、信者が広まることになったかを記憶を辿りながら考察していくことになる。
作品名:『 MOKUROMI-KYO ~目論見教~ 1.』 作家名:みゅーずりん仮名